教会活動
司 祭
キリスト教人門
キリスト教豆知識
リンク・問い合わせ
更新履歴



司 祭 紹 介
主任司祭    グイノ・ジェラール神父
1948年1月9日モントリシャールで生まれる。

5歳の時に司祭への召命を受ける。

母の両親からブドウ畑(農夫で東西南北に4つの広大な畑を所有、ブドウ酒を作った)を、そしてパン屋でもあった。生まれた時から聖書的シンボルのパンとブドウ酒があった。司祭になり命のパン、キリストのおん血とすることによって違う形で家業も継いでいる。司祭は永遠に残るパンをつくり、 命のパンで人を清め、キリストのおん血を与える。

若いときから老人と繋がりがあり(老人ホームの庭で遊んでいた)、自分のうちに神が与えたタレントは何もせずに働ていることに気がついた。
また、どんな病院に行ってもそのタレントのおかげで直ぐに友になることがでる。
自分が宣教師として持っているもの、神が初めから自分の内に入れので、今も勿論前よりも働いている
神が与えるタレントははるかに自分の才能を越えている。

5歳の時に聖体が私を呼んだ。ラテン語のミサで意味は分からなくても、目で見て味わって分かった。当時ご聖体は司祭しか手に持てなかった。聖体が手に欲しいので、聖職者の道を選ぶ。修道会に入りたかったが、修道会に入ると司祭なれるかどうか分からないので、司祭の道を選んだ。しかし、心は修道会にあった。1968年フランスでは、自分の入った神学校では何も教えなかったので、自由に自分のしたいことを決める。本を読んで考て下さいと指導された。バチカンの「ad gentes」という福音宣教の本を読み、その時に神様から「宣教師になりなさい」と言われて、”完全に包まれている喜び”、”「はい」と言う喜び”を感じた。私は直ぐに何にでも「はい」と返事をする。


宣教地としてアフリカには行きたくなかった、南アメリカかアジアに行きたかった。カリタスから宣教師について書いた、分厚い本を送ってもらった。その中から修道会に関係のあるところとイエズス会とドミニコ会のように勉強が長いところは省いた。普通の邦人司祭と同じで宣教地でも邦人司祭として働ける、パリミッションに入ることを決めた。

パリミッションに決めたもう一つの理由は、殉教者が多いこと。
私は司祭になり、ベネディクト修道会に入らないようにオブラット(オブレット)の誓願をたてた。
私の中に一つの望みが残っています。それは殉教者になりたい。体の殉教、心の殉教どのような形かは分からないが・・・・。


参考:@日本で馴染めない食べ物:饅頭、餅、コンニャク、ゴマメ
                 但し、わらび餅と桜餅は召しあがるそうです。   


    Aグイノ神父様のホームページ   Kami o motomete へ





       HOMEへ