回心の典礼

4-回心への招き

 
聖堂に集まっている信徒たちは いくら努力しても、またそれを強く望んでも 神の恵みがなければ 聖なる民とならない。 だから、司祭は 皆さんを回心へと招く。 その招きは 先ず 謙遜と正直を要求する。 皆の前で、正直に、大声で、皆は 自分が罪人である事を認め、告白する。 思い、言葉、行い、怠りによって犯した罪を「全能の神と兄弟の皆に告白します。」 それが最初の信仰宣言である。 この宣言は 勇気と互いの信頼を要求する。 と言うのは、この告白は 最後の審判と等しいからである。

  私たちは 神と母マリアと天使と聖人の前でも、そしてまた、自分を囲んでいる兄弟姉妹の前でも、罪人であることを はっきりと認める事になる。 しかし、同時に、真心から、天と地上にいるすべての兄弟姉妹の祈りと執り成しを願う。 誰も一人で回心できない。 従って 罪人の私たちは 皆の助けを願い、一緒に 神の聖なる民になる決意を宣言する。 皆の祈りの助けを願うことで 互いの信頼を表し、更に、自分のそばにいる兄弟姉妹の祈りと執り成しが 母マリア、全ての天使と聖人の祈りや取り成しに等しいものだと宣言する。 

  しかしこの回心の式は決して「赦しの秘跡」の代わりにならない。 罪を赦されたい信者は 個人的に赦しの恵みを受ける必要がある。 これについて 司祭の結びの言葉が証する。 「全能の神が 私たちをあわれみ、罪を赦し、永遠のいのちに導いてくださいますように。」 この「ように」と言う言い方は 確信ではなく、希望を表す。 司祭は赦しの秘跡の時に言う「私はあなたの罪を赦す」とは全く違う。 公に、告白の言葉を述べた人が それを習慣として宣言したか、真心から宣言したかどうか 司祭は 全く分からない。 事実、 本当に罪の赦しを心の底から望んだ人は赦され、むしろ、望まなかった人は 罪の状態に留まる。 正直な告白によって、共同体の兄弟姉妹が 互いに聖なる者となるように願えば、確かに、教会は罪から清められた聖なる民となる。
 




           祭壇にキスをする司祭の挨拶
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