16-説教


 説教は言葉の典礼の大切な部分である。司祭は重大な理由がない限り説教を省くことができない。 叙階された人だけが(司教、司祭、助祭)説教をする。 神の民は、まず、第一に、生きた神の言葉によって集められている。 従って、説教者は 神の声となって、特に、御言葉の典礼の三つの朗読に基づいて 分かりやすい説明をし、また、信じる人の信仰をやしない、強め、教え導くように努める。 説教は 決して説教者の気持ちや感情、懐かしい思い出などを 伝える世間話となってはならない。

  ところで、6世紀まであった ミサの間に説教をする習慣が 何世紀にも渡って 完全に消えた。 そして司祭はミサ以外の時に 福音について長い説明をするようになった。
  第一の理由は 様々の新しい修道会の説教者の活動が盛んになったことである。(コロンバン会、フランシスコ会、カプチン会、ドミニコ会、イエズス会 など) 彼らは、村から村へと行って、色々と上手に教えていたからである。 第二の理由は 説教が ミサの流れを邪魔すると考えられていたことである。 しかし17世紀の終わりに説教がミサの流れの中に戻ってきた。 第二バチカン公会議が説教の必要性と説教の内容や伝え方を決定的に定めた。





                   福音信仰宣言
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