32-聖体拝領の招き

  聖体を拝領するキリスト者はその責任を取らなければならない。 「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」と司祭が宣言する。 その言葉は 同時に次の意味ももっている。つまり「招かれていない者は 不幸だ。」という意味でもある。 即ち、聖体を受けるのに 全く相応しくない人や、長い間 罪の赦しを受けず、また長い間 教会から離れていた人や あるいは、自分がキリストを受けるのには相応しくないと分かっていても、皆と同じようにしないと恥ずかしいと思って、皆を真似て、行列に入り、聖体拝領する人は この重大な責任を取らなければならない。 

使徒パウロは コリントの教会への手紙の中で次のように教えている。「誰でも、自分をよく確かめた上で、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」と。(1コリント11,29) 教会は 聖体拝領にキリスト者を招く時に その事を思い起こさせる。 しかし、教会はあわれみをもって 「相応しくない者は絶対来ないで、不幸だから」を言わずに、むしろ「招かれた者は幸い」と宣言する。 しかしながら、結果は変わらない。 この誘いを聞き分けてから、拝領するかどうか、を識別し、キリスト者たちが神の前に自分で責任を取るべきことではないだろうか。





              
                   聖体拝領祈願
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