23-奉献文


    奉献文と言う祈りを 初めから終わりまでの間、唱えるのは 司祭だけである。司祭は in persona Christi 即ち(キリストの名によって、キリストと共に、キリストの内に)父なる神に向かって奉献文の祈りをささげる。

  現代使っているミサの奉献文は すべて 初代教会のものである。 第一の奉献文は一番古くて、シリア地方の典礼であり、特にエルサレムとダマスコの教会で使われていた。 ローマの信者がそれを利用していたので、今も「Canon Romano ローマの奉献文」と呼ばれている。 

  トレントの公会議(1562年)において、カトリック教会の典礼は、すべて、ラテン語で行われると決められた上、更に1570年に、教皇ピオ5世はこの奉献文をほんの少し直して、カトリック教会の唯一のものとした。 また、信者の数が少ない時以外は、司祭は 日曜日のミサを 始めから終わりまで 歌わなければならなかった。

  第二奉献文は ローマの聖ヒポリテュス(3世紀の初め)の「Traditio Apostolica  使徒的伝統」に述べられている。 第三と第四の奉献文は、5世紀の終わり頃のもので、「Constitutio Apostolica 使徒的規則」に書き記されている。 第二ヴァチカン公会議(1962~1965年)のお陰で この三つの奉献文は改めて使われるようになり、又 それぞれの国の言葉を使うことも許された。

  時代と場所によってミサの式次第が変わっていったが 典礼の中で新しくなったものは 三つだけである。 これらは、まず 聖霊の働きを願う「Epiclese エピクレジス」,次に「Gloria  栄光の賛歌」、最後に「Agnus Dei  平和の賛歌」である。 

  ヴァチカン公会議から 第二,第三、第四の奉献文は 二つの「Epiclese」を取り入れた。 つまり、一つは 聖変化の前に、聖霊によって、供え物であるパンとぶどう酒が聖とされ、キリストの御体と御血になるように願うことであり、 もう一つは、聖変化のすぐ後に 信徒も、聖霊の交わりの中で、聖とされ、神に捧げられたものとなり、キリストと共に一つの体、一つの心、一つの霊となるように願うことである。

  「キリストによって、キリストと共に、キリストの内に…」と言う奉献文の最後の部分を 信者たちが 司祭と共に唱えることは決して許されていない。 司祭がそれを歌っても、歌わなくても 世界中のキリスト者は ただ「アーメン」だけを答える。 しかし、日本の教会だけが 奉献文の最後の部分が歌われている時だけ、信徒たちは「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで」という部分を歌う許可を受けた。 だが、司祭が それを唱える時には 世界中に広がっている教会の信徒たちと同じように、日本の信徒も「アーメン」とだけ答えられるのである。





              
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