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主よ、わたしたちにも祈りを教えてください (ルカ11:1) |
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カトリック教会の祈り | 福音書参考並行箇所 |
主の祈り 天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を 今日も お与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。 わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。 アーメン より詳しい説明をご希望の方は、 グイノ神父様のホームページ 「Kami o motomete」の 「主の祈りについて」をご参照下さい (文語) 主祷文 天にましますわれらの父よ、 願わくは、み名の尊まれんことを、 み国の来たらんことを、 み旨の天に行わるるごとく 地にも行われんことを。 れらの日用の糧を、 今日(こんにち)われらに与え給え。 われらが人にゆるすごとく、 われらの罪をゆるし給え。 われらを試みに引きたまわざれ、 われらを悪より救い給え。 アーメン。 |
マタイによる福音書6:9〜13より 求めよ、そうすれば与えられる (マタイ7:7-12) 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」 私の名によって求めなさい (ヨハネ16:23-25) その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。 信じて求めれば、なんでも与えられる (マタイ21:21-22) イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」 ルカによる福音書11:2〜4より そこで、イエスは言われた。 「祈るときには、こう言いなさい。 『父よ、御名が崇められますように。 御国が来ますように。 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 わたしたちの罪を赦してください、 わたしたちも自分に負い目のある人を 皆赦しますから。 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」 |
アヴェ・マリアの祈り アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、 主はあなたとともにおられます。 あなたは女のうちで祝福され、 ご胎内の御子イエスも祝福されています。 神の母聖マリア、 わたしたち罪びとのために、 今も、死を迎える時も、お祈りください。 アーメン。 (2011年6月14日 定例司教総会にて承認) c日本カトリック司教協議会 (文語) 天使祝詞 めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。 聖母マリアへの祈り 恵みあふれる聖マリア、 主はあなたとともにおられます。 主はあなたを選び、祝福し、 あなたの子イエスも祝福されました。 神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、 今も、死を迎えるときも祈ってください。アーメン。 |
マリアは神の子をみごもられた (ルカ1:26-38) ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 み言葉は肉体となって私たちのうちに住まわれた (ヨハネ1:14) 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 時が満ちて、神は御子を女から生まれさせた (ガラテア4:4) しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 |
栄唱 栄光は父と子と聖霊に。 初めのように今もいつも世々に。 アーメン (伝統的な栄唱) 願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを。 初めにありしごとく、今も、いつも、世々に至るまで。 アーメン。 |
父と子と聖霊はご一体である (ヨハネ14:15-17) 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 神のみ名は父と子と聖霊 (マタイ28:18-20) イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 |
使徒信条 天地の創造主、全能の父である神を信じます。 父のひとり子、 わたしたちの主イエス・キリストを信じます。 主は聖霊によってやどり、 おとめマリアから生まれ、 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、 十字架につけられて死に、 葬られ、陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、 天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、 聖徒の交わり、罪のゆるし、 からだの復活、永遠のいのちを信じます。 アーメン (文語) 使徒信経 われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、また その御ひとり子、われらの主イエズス・キリスト、すなわち、 聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、 十字架につけられ、 死して葬られ、古聖所にくだりて三日目に死者のうちより よみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に座し、 かしこより、生ける人と死せる人とを裁かんために 来たりたもう主を信じたてまつる。 われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通効、罪のゆるし、 肉身のよみがえり、終わりなきいのちを信じたてまつる。 アーメン。 |
キリスト教の基本的教義を12箇条にまとめた文。 1.天地の創造主、全能の父である神を信じます。 2.父のひとり子、 わたしたちの主イエス・キリストを信じます。 3.主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、 4.ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、 十字架につけられて死に、葬られ、 5.陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し 6.天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、 7.生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。 8.聖霊を信じ、 9.聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、 10.罪のゆるし、 11.からだの復活、 12.永遠のいのちを信じます。アーメン。 |
ニケア・コンスタンチノープル信条 この「ニケア・コンスタンチノープル信条」は、第1回コンスタンチノーブル公会議(381年)後に作られた。 わたしは信じます。唯一の神、 全能の父、 天と地、 見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。 わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。 主は神のひとり子、 すべてに先立って父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、 造られることなく生まれ、父と一体。 すべては主によって造られました。 主は、わたしたち人類のため、 わたしたちの救いのために天からくだり、 聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、 人となられました。 ポンティオ・ピラトのもとで、 わたしたちのために十字架につけられ、 苦しみを受け、葬られ、 聖書にあるとおり三日目に復活し、 天に昇り、父の右の座に着いておられます。 主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに 再び来られます。 その国は終わることがありません。 わたしは信じます。 主であり、いのちの与え主である聖霊を。 聖霊は、父と子から出て、 父と子とともに礼拝され、栄光を受け、 また預言者をとおして語られました。 わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、 唯一の教会を信じます。 罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、 死者の復活と 来世のいのちを待ち望みます。アーメン。 (2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可) |
私たちはこう宣教し、あなたたちはこう信じた (Tコリント15:1-11) 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 |
「やさしい教理問答」 志村辰弥編 中央出版社より | |
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