36-ミサという言い方の意味


  さて、初代教会の信徒は、ユダヤ教の習慣に合わせて、安息日の食事をしながら、同時に主の晩餐の記念を土曜日の夜に行っていた。 ルカによると「信者たちはひたすら心を一つにして…家ごとに集まって「パンを割き」、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していた。」(使徒言行録2、46) しかし、信者たちは次第に、安息日に分かち合いの「アガペーの食事」 だけを取るようになり、次の日曜日の朝は 「主の晩餐」 「パンを割く式」 を行いながら 主の復活の記念をも祝うになった。

 ここで、使徒パウロの影響が強く感じられる。 「一緒に集まっても、「主の晩餐」を食べることにならないのです。 なぜなら、食事の時、各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」(1コリント11,20-21)と彼は述べている。 この教えに従って、1世紀半から 3世紀の終わりまで、一緒に分かち合う「アガペーの食事」が 特にやもめたちと貧しい人々のために行なわれていた。(参照 使徒言行録6,1−2)

そうして、主の晩餐はギリシャ語とラテン語で、最終的に日曜日の朝に行われるようになった。 4世紀の初め、キリスト者の迫害が終わると 次第に「パンを割く祭儀」は「Eucharistein 感謝の祭儀」という新しい名で呼ばれるようになった。 しかし、この呼びかけは 既に1世紀の終わりに使われていた。 中世の人々が 主の晩餐の記念を「ミサの聖なるいけにえ」と名付けたにもかかわらず 「感謝の祭儀」という名は  今もなお 残っている。 

さて「ミサ」という呼びかけはどこから来たのだろうか? やはり、ローマの初代教会の時代からである。 というのは、ローマの法律で裁判の終わりに審判者は「Acta missa ite in pace」即ち「するべきことが終わった、平和のうちに帰りなさい」と宣言していた。 それを真似て、感謝の祭儀が終わる時に 司祭は「Ite missa est」「感謝の祭儀が終わります、さあ行きましょう、主の平和のうちに!」 というのが習慣になった。 そいう訳で、こんにちの感謝の祭儀を「派遣」の意味を保ちながら「ミサ」と呼ぶようになった。





              
                   派遣(「ミサの流れを理解しよう」完)

グイノ神父様作の「ミサの流れを理解しよう」はこれで完結です。
合わせて神父様のスライドショーをご覧下さい。


尚、グイノ神父様のスライドショーは、
カトリック夙川教会のホームページに収納されています。
カトリック夙川教会のご好意により
スラードショーへの直接リンクを許可して頂きました。

スラードショー「ミサのはじまり」をご覧下さい。


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