預言者イザヤは、イスラエルの民の花婿として神を紹介しています。 神はすべての人の幸福と喜びの泉です。 預言者ホセアから、雅歌の書を通して、そしてイザヤの書の終わりまで、聖書全体は人間と神の間に結ばれた契約を婚礼の契約として教えています。 この契約は、いくら人間の弱さと裏切りがあっても、忠実な解消できない絆です。
カナの婚礼の出来事は、神が永遠の愛で私たちを愛しておられることを思い起こさせます。 イエスの内にイエスによって、神は私たちの不足し欠けているところをすべて満たそうとします。
ぶどう酒に変化した水は、決して取り消すことのできない絆で、イエスが私たちと一致していることを表しています。 私たちの人間性に与ることで、イエスはご自分の神性に私たちが与かれるようにしました。
今から後「わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません」(参照:ローマ8,39)。
カナの婚礼に誘われていたイエスの母マリアは、ぶどう酒が足りないことに気がついて、直ぐそれをイエスに教えました。 「ぶどう酒がなくなりました」と。
この言葉は、次の意味も表します。 「彼らは婚礼の喜びとお互いを愛する幸せを失っています」と。 なぜなら、聖書の教えによると「ぶどう酒」は、喜び(コヘレト9,7)・愛(雅歌5,1)・命(箴言32,6)・神の契約(イザヤ25,6、創世記
27,28)の象徴ですから。
私たちが生きている間、母マリアが毎日私たちの傍にいて下さるのは、特に物質的な物や霊的に不足しているものからくる苦しみを耐え忍んでいる人々を私たちが大切にするためです。
愛の欠如(けつじょ)している人類のために信頼をもってイエスに向かって執り成すこと、また彼らの幸せのために具体的に行なうことを、母マリアは私たちに教えています。
神の救いを受け留(と)めることは、キリストが私たちのすべての不足、過ち、弱さ、罪を背負って一致することを望むことです。 イエスの愛はすべてを変化させる力をもっています。
イエスは私たちの生き方の苦(にが)い水を、永遠の喜びのぶどう酒に変化させることが簡単にできます。
ですから、母マリアの賢い勧めに耳を傾けましょう。 「イエスが何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と。 「キリスト者の一致」の週間の始まりに当たって、愛の婚礼の準備をするように、母マリアは私たちを誘います。
いつか「あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から」(参照:黙示録5,9)人々がこの婚礼に来るからです。 この世界が平和や幸福や揺るぎない一致を味わうように、一人ひとりは自分のカリスマに応じてイエスの働きを早めましょう。
「キリストの計り知れない富」(エフェソ3,8)を現すために、聖霊の教え導きによって自分の才能とカリスマを良く使いましょう。
私たちが世界のために執り成すことで、イエスはご自分の栄光を示し、信仰の道に人々を引き寄せます。 私たちの傍(そば)にいるイエスと母マリアは、私たちの人生を照らし、その中に神の愛を注ぎます。 優れたぶどう酒のように、神の愛は聖霊の恵みで人を豊かにします。 信仰の証しと執り成しの祈りによって、大勢の人が神の婚礼に出席し、溢れるばかりの愛の素晴らしいぶどう酒を味わうことができるように、個人的にも、共同体的にも工夫しましょう。 アーメン。
グイノ・ジェラール神父
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