2018年12月16日(日)C年  待降節第3主日
今日の聖書

第一朗読   ゼファニア 3,14-18

第二朗読  フィリピ 4,4-7 

ルカによる福音書3,10-14

 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。



 今日の第1朗読と第2朗読は、待降節の第3の日曜日の特徴である「喜び」を迎えるように私たちを誘っています。 「皆さん、主において常に喜びなさい」と聖パウロは勧めています。 預言者ゼファニアは全面的にその喜びを表すように私たちを招きます。 「シオンの娘よ、喜び叫べ。 歓呼(かんこ)の声をあげよ。 エルサレムの娘よ、心の底から喜び躍れ」と。

 「シオンの娘」、「エルサレムの娘」というのは、エルサレムの新しい地区であり、そこには紀元前7世紀に、サマリア地方の破滅を避けることができた、ほんの少しの人々が住んでいました。  彼らはとても貧しいので、預言者ゼファニアは神の内に信仰と希望を置くように誘います。 神は貧しい人の側に立つので、必ず彼らの助けになります。 神は貧しい人の喜びになりたいのだと預言者ゼファニアは保証します。 「イスラエルの王なる主はお前の中におられる。 主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のために喜びの叫びをもって楽しみ躍る」と。

 私たちも神の喜びの泉になるように招かれています。 聖パウロはフィリピの信徒への手紙を通して、聖霊の現存の印(しるし)と共に、それらに伴う深い喜びを歓迎するように私たちを誘います。 「主において常に喜びなさい。 重ねて言います。 喜びなさい。 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。 主はすぐ近くにおられます」と。

 洗礼者ヨハネは、すべての人の喜びの泉となる救い主の到来を告げます。 というのは、洗礼者ヨハネは自分の方へ来る人々を喜びの道に導く使命を受けているからです。 天から降(くだ)ってくる子の喜びを受け止めるために、それぞれの人が自分の心の準備をするように招かれています。 神が与える喜びは「完全であり、 誰もそれを奪うこともできない」(参照:ヨハネ16,24、22)、そしてこの喜びは私たちのために神を躍らせます。

 キリストの喜びは、人が普通に感じる喜びとまったく違うものです。神の喜びはとても深いものであり、「自分の内に神がおられる」(参照:ゼファニア)あるいは「キリストが直ぐ近くにおられる」(参照:パウロ)ことに気付くキリスト者は、それを味わいます。 キリスト者は酷(ひど)い状態の中に置かれても、心の中に自分を支え、強める深い平和と喜びを保っています。 ですから、恐れずに喜びましょう。 主は来られます。 主はすぐ近くにおられます。 アーメン。


            グイノ・ジェラール神父

日曜日のお説教



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