2018年06月10日(日)B年  年間第10主日
今日の聖書

第一朗読   創世記3,9-13

第二朗読  2コリント4,13-5,1

マルコによる福音書 3,20-35
 
 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」


 今日のマルコの福音は、イエスの家族について述べています、マルコは先ず血縁関係のイエスの親戚を紹介します。イエスの親戚といとこ達は、急にナザレの村から出てイエスを取り押さえに来ました。「この男は気が変になっている」と言っています。イエスが居る家の中に入らずに、彼らは外で立っていてキリストが出て来るように強く願っています。

 次にマルコは、イエスの本当の家族を紹介します。神の言葉を受けるためにイエスの直ぐそばに集まっている人はキリストの家族です。しかし、人々がとても多いのでイエスと弟子たちも宣教のために夢中になって食事をする暇もないほどでした。

 最後にマルコはキリストとの関係を拒否する人々やイエスに反抗している人々を紹介します。彼らも離れた所で立ったまま、イエスの言葉と行いを批判します。「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言っています。

 弟子たちはイエスの本当の家族です。なぜなら、家の中に居てイエスのそばに集まって彼らは何も言わずに、何も批判せずに、何も要求せずに、注意深くイエスの教えに耳を傾けています。イエスを囲んで輪をつくって座っている人々は、知らないうちに既に教会として集まっているのです。マリアとマルタの家の食事の出来事(参照:ルカ10,38-42)を思い出すと、この人たちは一番良い方法を選んだことを私たちは解っています。神が遣わされたイエスの教えを聞くことで、彼らは神のみ心を行っています。そして、弟子たちと出会った彼らはアッという間にイエスの兄弟、姉妹、また母となっています。

 マルコはわざとイエスの話を聞く人々と、それを拒む人々の間にある隔たりをはっきり見せます。キリストの使命を理解しない人は、「あの男は気が変になっている」とか「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言って、自分たちを正当化します。イエスは弟子たちが自分と強く結び合う繋がりを自覚することを望み、誘います。勿論、当たり前のことで、イエスは血縁関係の親戚と弟子たちとを決して対立させません。大切なことを理解させるために、イエスは血縁関係(兄弟、姉妹、母)の言葉をわざと使います。キリストが理解させたいことは、霊的な絆も親戚の絆も大切ですが、霊的な絆は遥かに血縁関係に勝っていることを理解させたいのです。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(参照:マタイ10,37)と、イエスは言いました。神の国のことを伝えることに関して、家族的な繋がりは大切ですが、絶対的なものではありません。

 信仰によって私たちは、イエスの本当の家族となりました。イエスに親密に結ばれ、聖霊によって強められている私たちは、神の言葉を注意深く聞くことによって神のみ心を行うことができるのです。私たちの信仰生活の目的は、日常生活の様々な出来事を通して神のみ心を発見し、喜びの内にそれを実践することです。それを実現するために、イエスの母マリアに倣いましょう。母マリアはいつも神の言葉に対して、注意深い人でした。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(参照:ルカ1,45)と彼女のいとこであるエリザベトは言いました。また、マリア自身が私たちもそのようにするように招いています。「イエスが何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(参照:ヨハネ2,5)と。

 イエスの兄弟、姉妹として、父なる神に感謝しましょう。神は聖霊の交わりの中で、私たちを唯一の聖なる家族として集めているからです。アーメン。


            グイノ・ジェラール神父

日曜日のお説教



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