2018年 02月 11日(日)B年   年間第6主日
今日の聖書

第一朗読   創世記3,16-19  

第二朗読  1コリント10,31-11,1

マルコによる福音書 1,40-45

 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。



 新年の初めから聖マルコはガリラヤでのイエスの福音宣教活動を色んな面から紹介しました。 イエスは「神の国が近づいた」と宣言し、カファルナウムの会堂で教えます。 また、まことに神の国が近づいたことの一つの証拠として、大勢の病人を癒します。 更に悪霊たちを追い出すことによって、イエスはサタンの支配が終わったことを現しています。 らい病を患っていた人の癒しと清めによって、マルコの福音の第一章が終わります。 これからは、イエスはガリラヤ中を歩き回りながら、すべての人々に救いの良い知らせを宣(の)べ伝えるのです。

 イエスの心から人に対する共感が溢れています。 穢(けが)れのないキリストの手が、らい病を煩(わずら)っている人に触れることで、彼を清くし新たにします。 この病者は律法上では不潔なものにされ、人間の社会から荒れ地に追いやられていました。 癒された彼は普通の生活に戻ることができます。 システィナ礼拝堂のミケランジェロのフレスコ画が示すように、キリストが人間に差し伸べる手は、人を癒し・清め・安らぎを与え・復活させます。 この救いの手は、いつも私たちに差し伸べられています。 と言うのは、自分たちの信仰を支えるために、私たちにとっては具体的な印(しるし)が必要ですから。 その具体的な印とは、たとえば私たちの頭に注がれる洗礼の水、キリストと親密に一致するために、司祭が私たちの手の中に置く命のパンである聖体です。 また、罪と死に対する命の勝利を思い起こす十字架の印もあります。 そして教会の秘跡が具体的にキリストの救いを表す全ての印です。 イエスは、昨日も今日も、信頼を持って切に助けを願う人を癒し・赦し・清め・救うのです。

 福音の病人と違って、ある病気が私たちの肉や皮膚に害を与えません。 むしろ私たちの心の奥底に癌のような病が潜んでいます。 肉や骨を深く傷つける病気よりも、魂を深く傷つける悪の攻撃が、私たちの生きる自由と幸せをもっと酷(ひど)く傷つけています。 イエスは特に、この病から私たちを救い・清めたいのです。 キリストの死と復活の光によって、私たちはイエスが与えようとする魂の健康を理解できると思います。 なぜなら、イエスは神の栄光のために、すべてを新たにするお方ですから。

 このイエスのやり方を自分たちのやり方としましょう。 と言うのは、たとえ「神のみ言葉を」宣言することが肝心であっても、或いは神が私たちのためになさった不思議な業について証しすることが必要であっても、私たちの最も大切な勤めは、神の栄光のために宣言し、証しすることです。 ご存じのように、神の愛を宣言する人の中には、神戸の三宮付近で毎日曜日にスピーカーで自分の信仰を証しする「ものみの塔」のような喧しいやり方もあります。 しかし、私たちはキリストに対する忠実な生き方で、また良い行いと全人類のために奉げる祈りで、静かに謙遜に神に栄光を与え、「神の栄光を表しましょう」(参照:第2朗読)。 聖霊の力が私たちを通してよく働くように、私たちは役に立つ、目立たない、謙遜な救いの道具となりましょう。

 ですから、私たちの行い・祈り・共感・思いやりが、聖パウロの模範を支えとしますように。 「わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのです」と。 この言葉を言いながら聖パウロは自分を模範とすることを私たちに願っています。 なぜなら、聖パウロの模範は、イエス・キリスト自身ですから。 「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と。 聖霊の助けによって神の栄光のために、まだ神を信じていない人々に対して、そして出会うすべての人に対して私たちも彼らの模範となりましょう。  アーメン。
                        

                                       グイノ・ジェラール神父

日曜日のお説教



HOME