2018年 01月 21日(日)B年   年間第3主日
今日の聖書

第一朗読   ヨナの預言 3,1-10  

第二朗読  1 コリント 7,29-31  

マルコによる福音書 1,14-20

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。いか。』」



 今日の日曜日の典礼は、回心と黙認を見せるように私たちを招きます。 第一の朗読は預言者ヨナを紹介します。 ニネベの人々にメッセージを伝えるように神はヨナに願いました。 ニネベの人は昔からイスラエルの恐ろしい敵でした。 ですから、ヨナにとってはこの使命を実現するには「ミッション:インポッシブル(果たすことが絶対にできない使命)」です。 ですから、ヨナは逃げることにしました。 しかし神から逃れることこそ到底無理なことです。 結局、ヨナは神から委ねられた使命を果たしました。 そして自分が伝えた言葉を聞いて、ニネベの人々が皆回心しようとするのを見て、預言者ヨナは非常に驚きました。

 ヨナの物語のメッセージは次のことです。 神はすべての人を深く愛しているので、罪のある人を赦すために彼らの心の動きを待っていらっしゃいます。 預言者ヨナの「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」と言う叫びは、単なる警告の叫びでした。 神はいつもご自分の言葉に心を開く人をすぐに赦します。

 ヨナの物語の第二のメッセージは次のことです。 神は宇宙万物の神です。 ですから神はイスラエルの民と同様に、すべての人、イスラエルの敵でさえも、深く愛しています。 どこへ行っても、どんな状態に置かれていても、(たとえば、船の上でも・魚の腹の中でも・異邦人の町でも)人は神に向かって祈ることができます。 神の現存は国の境や国の宗教や政治体制によって制限されることはありません。 神の現存も、神の慈しみも普遍的です。

 ヨナの物語の第三のメッセージは、偏見の考えと軽蔑する眼差しを変えるように私たち一人ひとりを誘っています。 「未信者だ」と言われる人は、度々私たちよりも神の言葉に耳を傾けて神の言葉をよく知ろうとします。ニネベの人々が示した態度と同じように、現在でも信者でなくても大勢の人が神の言葉に対して興味を現わしています。

 ヨナの物語はバビロン追放のかなり後に書かれたものです。 その時、預言者たちは「神はイスラエルの民だけではなく、全人類を救いたいこと」を思い起こさせたかったからです。 そこで、ヨナの物語の第四のメッセージは、次のことを特に伝え理解させようとします。  即ち、神は愛する神・ゆるす神・限りない慈しみをもって救う神であり、そしてすべての人にそれを伝え、知らせるために、神がイスラエルの民を選ばれました。

 今日の福音も「回心と黙認を見せる」ように招いています。 「時が満ちて、神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい」とイエスは宣言しています。 アンドレ、シモン、ヤコブにとっては、この叫びは全世界の果てまで彼らを導く回心の道の出発点です。 イエスの直ぐそばでこの4人の弟子たちは、パウロが言ったことを理解するでしょう。 それは「この世の有様は過ぎ去るのです」と(参照:第2朗読)。 回心する人は何を捨てるかを解かっても、未来は全くどんなものになるかは解かりません。 そういう訳で回心はいつも信仰の過程です。 神だけが何処へ私たちを連れていくかを知っているので、回心する私たちは神に対して揺ぎ無い信頼を示さなければなりません。

 今朝、私たちが歌った詩篇の言葉が私たちの祈りと行動を教え導きますように。 「神よ、あなたの道を示し、この小道を教えてください。 あなたの真理のうちに私を導き諭(さと)してください。 あなたは私を救ってくださる神。」(参照:詩篇25,4-5)。 アーメン。


                                       グイノ・ジェラール神父

日曜日のお説教



HOME