2018年 01月 07日(日)B年    主の公現の主日
今日の聖書

第一朗読     イザヤ 60,1-6

第二朗読    エフェソ 3,2-3,5-6

マタイによる福音書 2,1-12

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。



 主イエスの誕生の最初の証人となるために、占星術学者たちは長い旅をしました。 この占星術学者たちはおそらくメディア人であり、現在のイランの北の方に住んでいた祭司職の人です。 彼らは夢の意味を解き明かし、占いをし、太陰暦と季節の祭りの時を決める専門家でした。 それらを正しく行うために占星術学者たちは宇宙万物の現象を観測し、天体の動きを勉強していました。 そんな時、不思議な一つの星の出現のお陰で彼らは神の子を見つけるための旅に出かけました。

 今日、神を探し求めるように占星術学者たちは私たちを誘っています。 そうするならば、私たちは神がまず先に私たちを探し求めていることを理解できるでしょう。 しかし、独りでは中々神を見つけられません。 神を見つけるには、占星術学者たちが教えている通り、神をほんの少しでも知っている人の助けと教え導きが必要です。 そして、占星術学者たちは私たちに神を礼拝することと、同時に神の手に自分自身を捧げることを教えています。

 ですから、今日こそ、占星術学者たちと共に、神に私たちの人生の黄金・乳香・没薬を宝物として差し出しましょう。 黄金とは、自分の内にある親切さや、寛大さや優(すぐ)れた徳を表しています。 幼いイエスに私たちの信仰と希望と愛徳の黄金を差しあげましょう。 黄金はまた経済的な生き方のシンボルですから、私たちが持っている富や豊かさや物質的なものに関して、バランスの取れた生活を送ることが出来るように神に願いましょう。 そして谷間にいる人々に対して、注意深く思いやりをかけましょう。

 次に私たちの祈りの乳香、神と共に愛の親しい信頼の絆で生きる私たちの望みを神に捧げましょう。 私たちが示す祈りの生活は具体的な助け合いの行いにしっかり根を下ろすように神に願いましょう。 私たちの礼拝がこの世界に注がれている私たちの眼差しを変えますように。 そして、祈ることによって更に私たちが苦しんでいる人や困っている人の隣人になりますように。

 昔、没薬は亡くなった人の死体の防腐処置のために使われていました。 私たちの人生の没薬は心から湧き出てくる慈しみです。 思いがけない災いや病気や苦しみや死に出会う人々に寄り添い、ずっと私たちは憐れみ、慰めと慈しみを与える友になりたいと思います。 神ご自身が憐れみ深いように、私たちも憐れみ深い人となりましょう。 そして私たちの希望がすべての疑問や恐れ、試練や失敗を乗り越え、強くなるように神に願いましょう。

 私たちが生きている限り、きっと神を探し求め続けるでしょう。 また神を見つけるなら、また再び神を探し求めることになるに違いありません。 なぜなら、神はいつも私たちの考え・想像・理解を遥かに超えているからです。 そういう訳で、今日のミサ祭儀を通して私たちは救い主イエスと出会い、信頼をもって自分の全てをイエスに捧げることが出来るようにお互いのために祈り合いましょう。 聖ヨセフと聖母マリアの取り次ぎによって、主イエスが私たちを父である神にまで導きますように。 イエスはこの神を「父」と呼ぶように教えたからです。 アーメン。


             グイノ・ジェラール神父

日曜日のお説教



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