今 月 の こ と ば
2018年09月
侮辱のプレゼント

 あるところに年老いた座禅の先生がいました。何でも我慢強く耐えることが遠くまで知られていました。いつも淡々とし、どんな人間も、どんな思いがけない出来事も、災いも全く恐れていませんでした。この先生には、たくさんの弟子がいました。先生は彼らに「どのようにして自分を自制するのか」、「冷静さを保つためには、どうすればよいのか」などを教えていました。

 ある日、この先生の評判と名声を損なわせようと無頓着で無謀な青年兵がやって来ました。この青年兵は酷く無礼な言い方で人を傷つけることで有名でした。彼は人の弱さと欠点を攻撃し、評判を損なわせるのが上手でした。この青年兵は、座禅の先生を唆(そそのか)すために、大声で先生を侮辱し始めました。弟子たちは先生を守るために傍へ集まって来ました。すると先生は青年兵を誘って言いました。「それじゃあ、町の広場に行こう。大勢の人の前で私を侮辱した方がいいでしょう。そうだ、それじゃあ、明日、町の広場に行こう」。青年兵は先生の誘いに乗ることにしました。青年兵は、心の中で「ようし、そうしよう。これは面白くなるぞ…」と思いました。

 次の日、先生と青年兵の戦いの結果を見るために、町の広場に大勢の人が集まりました。朝から夜遅くまで青年兵が先生につばを吐きかけたり、公園の砂や小石を投げたり、先生の先祖や友人たちの悪口を言ったり、その他考えられないような侮辱や罵(ののし)りを言い続けました。しかし、先生は絶対に口論しませんでした。青年兵が侮辱する間中、ずっと冷静な態度を示し、落ち着き払っていました。そうするうちに青年兵は、群衆から野次を浴びて、段々と恥ずかしくなってきました。結局、皆の前で自分の失敗を認め、頭を下げて逃げてしまいました。群衆は座禅の先生を大いにほめたたえました。

 弟子の一人が先生に近寄って、次のように尋ねました。「先生はどうして何も反抗せずに、何一つ怒りの態度も示さず、この酷い侮辱に堪えることができたのですか。なぜ自分の先祖や友人たちの評判を守るために弁明しないで、何も言わなかったのですか」。先生は質問で答えました。「あなたに捧げられたプレゼントを貰いたくないなら、このプレゼントはいったい誰のものですか」。「プレゼントを捧げた人のものです」と弟子は答えました。「はい。その通りです。同じように受け入れたくない侮辱や罵りや悪口も、それを言った人のものです。なぜなら、その人は心の中でずっとそのすべての悪いものを持っているからです」と先生は説明しました。

 侮辱される時、あるいは悪口の的になる時、私たちは無意識に強く反応したり、怒ったり、復讐したりしがちです。ですが、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(参照:ローマ12,21)と聖パウロは勧めています。悪に対する冷静な態度や自制する努力が必ず良い実を結びます。怒りは悪を拡大する危険性をもたらします。だからこそ、怒りと憤りを抑えることが大切なのです。「怒ることがあっても、悪魔にすきを与えてはなりません」(参照:エフェソ4,27)ということも聖パウロは勧めています。冷静を保ち、自制しましょう。私たちを攻撃する悪い言葉や無礼な行いに対してはそれを受け取らず、無視をし、差し出した人に返すことを学びましょう。そして主イエスが教えたように、「敵を愛し、私たちを憎む者に親切にしましょう。悪口を言う者に祝福を祈り、私たちを侮辱する者のために祈りましょう」(参照:ルカ6,27-28)。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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