今 月 の こ と ば
2018年08月
亀婦人と鶯婦人

 あるところに、亀婦人と鶯(うぐいす)婦人の二人がいました。二人は朝から夜までいつも色々なことで口喧嘩をしています。

 鶯婦人は亀婦人に言います。「私は色々な害虫を食べるので、人間の畑の収穫の役に立っていますわ。しかし亀夫人、あなたは逆に人間の庭の野菜や果物をガツガツと平気で食べる、恐ろしい寄生虫じゃないですか」。すると亀夫人は負けずに言い返します。「私は生き続けるのにどうしてもカルシウムが必要なんです。それに私はいつも新鮮なものばかり食べています。しかし、あなたはいつも変な虫ばっかり食べているので、そのうちきっと病気になりますよ」。鶯婦人も負けていません。「そんなことで私が病気になるかどうかなんてわかりませんわ。それにしてもあなたは歩くのが遅すぎませんか。あなたのようにのんびり過ぎる生活は良くありませんよ。人のことを言う前に、もっとご自分の周りの世界をご覧になったらどうですか」。

 亀夫人は言い返します。「あら、ご存じないのですか。ゆっくり歩くと長生きできるのですよ。私の親戚はみんな百歳以上生きていますよ。」 そう聞くと、またすぐに鶯夫人が言いました。「亀夫人、あなたはあまり動かずにこの辺で見つけた野菜を一日中食べていますね。運動不足のせいで太っているのではないですか。私はいつも遠くまで食べものを探しに飛んで行くので、体も軽くて元気ですよ」。「あら、そうですか、鶯夫人。あなたも卵を産む時、私同様、動かずにじっとして子どもを守っているのではないでしょうか」と亀婦人は言い返しました。

「そりゃ、動かないで子どもを守るのは当然です。子どもたちをあらゆる危険から守り育てるのは親の責任ですから。それにしても、亀夫人、あなたは卵を産んでも守ろうともしませんね。全く世話をしないなんて、無責任です。蛇が卵を飲み込んでもまったく悲しみませんものね。あなたには母親の心がないんじゃないですか」と鶯夫人は自慢しながら言い返しました。「鶯夫人、あなたは子どもを守りたいとおっしゃいましたね。ご覧なさい、あなたの巣の作り方を。まるでボロ家じゃないですか。藁や拾った小枝で作った、ごみだらけの家ですね。こんなところで子どもを育てたいのですか。強風が吹いたら、あっと言う間にその巣はどこかへ飛ばされるでしょう。蛇が木に登って来てあなたの子どもを食べてしまうでしょう。ご覧なさい、私の甲羅の方がよっぽど快適ですよ。固くて安全だし、何処にでも運べますしとても便利です。あなたの住む巣はとても危なくて、不安定ですよ。きっと私の丈夫な甲羅の家に嫉妬しているのでしょ」。

「そんな、とんでもないです。私の家がごみの巣だとおっしゃいましたが、ここには幸せがいっぱい溢れています。この巣でも十分広いですから、子どもたちと一緒に色んな事を楽しめますよ。一緒に食事を食べたり、空を飛んだり、他のところの地上の景色も空の上から見えます。しかし、あなたの甲羅の家は狭すぎて、誰も入れないでしょ。あなたは毎日、さぞ寂しいことでしょうね。いつも一人でいるなんて、まるで隠遁者です。大切な子どもさえいません。何と暗く、希望の無い、利己主義な生活でしょう」。鶯婦人はあざ笑って答えました。このように、いつも二人は出会うたびに口喧嘩をしていました。

 口喧嘩をする人は、自分の自慢をしながら、必ず他人が傷つく言葉や悪意のある考えを自分のうちに育てているのです。自分の生き方と他の人の生き方を比べる人も、自分の中に嫉妬の気持ちが育っていき、やがて悪意のこもった眼差しで他人を敵のように見るようになります。「悪魔のねたみによって死がこの世に入りました」(知恵2,24)と知恵の書が教えています。「あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです」(ヤコブ3,14-16)と、聖ヤコブも説明し忠告しています。キリストに属する私たちは、平和と理解を示し、慈しみと哀れみの眼差しを注ぐように召されています。侮辱されても、悪者にされても、悪意のある言葉の犠牲者になっても、いつもキリストの愛の心を持ちましょう。そしてキリストの考え方を自分の答えにしましょう。


                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
「今月のことば」目次へ
     HOMEへ