今 月 の こ と ば
2018年05月
首飾り

 中世前期。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼をしていた信仰深い青年は、たいへん値打ちのある首飾りを大聖堂の広場で見つけました。彼が大聖堂の入り口にさしかかった時、その首飾りの持ち主に出会いました。首飾りを探していた持ち主は、青年が首飾りを手に持っているのを見て、「その首飾りは私が失った物です。私の可愛いひとり娘のために買った物です。しかし不注意によって落としてしまいました。どうぞ、その首飾りを私に返してください」と頼みました。青年は首飾りを持ち主に返しました。首飾りの持ち主は無上の喜びを感じ、青年に何も言わずにいそいそと大聖堂に入って消えてしまいました。大聖堂の前に立っていた青年は心の中で祈りました「主よ、私はあの首飾りを持ち主に返しました。ですから首飾りの代わりに値打ちのあるものを私に下さい」。

 フランスに戻った青年は、少し休息をとるため山の中にある村の小さな教会に入りました。教会の静かな雰囲気の中で、青年は自分の鞄から出した聖書を読み始めました。教会の中に居た3人の年老いた婦人は彼を見つめながら小さな声で自分たちの意見を相談しはじめました。3人の婦人は青年に近寄って「あなたは聖書を読めますか」と尋ねました。「はい」と青年は答えました。「町から遠く離れているこの村には学校がありません。司教様は私たちを導くために新しい神父を遣わすことは無理だとおっしゃいました。私たちは見捨てられています。この村で読み書きが出来る人はいません。あなたは読み書きが出来るので、ここに残って私たちにそれを教えてください。その代わり住む場所と正当な給料をお支払いします。どうか私たちを助けてください」と3人の婦人は懇願しました。

 「神様は私の願いに応えて下さったのだろうか…」。青年は思いました。考えた結果、彼はこの村に残ることに決めました。それから5年間、青年は村で生活をし、皆と一緒に仕事をしました。子供から大人、そしてお年寄りにも書くことと読むことを一生懸命に教えました。彼のお蔭で、日曜日には、皆が一緒に村の聖堂で祈り歌うことも習慣になりました。村の人々はとても幸せでした。ある日、村の人たちが密かに集まって青年へのお礼について考えました。そして村の人々は青年に言いました。「隣の村にとても優しく美しい女性が住んでいます。彼女は父親を喪って独りで住んでいますが、あなたが彼女と結婚するといいと思います。2人はとてもお似合いです。今日、彼女をここに連れて来ましたので、是非会ってください」。

 「この村人の誘いには神の導きがある」と思った青年は、快く彼女に会いました。彼女の首には美しい首飾りがかけられていました。青年はこの首飾りを見て直ぐに、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の広場で拾ったあの首飾りだと気がつきました。この首飾りについて尋ねた青年は、彼女から次の説明を受けました。「私の父は、私のために買ったこの首飾りを不注意から落としてしまいました。しかし、これを見つけた青年が何一つ報酬を求めないでこの首飾りを返してくれました。その時から死ぬ日まで、父は次のような祈りを神に捧げました。『この親切な青年のような夫を、私の娘に与えてください』」と。青年は「その首飾りを見つけて、お父さんに返したのは私です」と明かしました。青年は夢中になって、自分に示された神の摂理の不思議な神秘を詳しく語りました。青年は首飾りの値打ちを遥かに超えたものを受けたので、大いに神に感謝しました。村の人々の祝福の言葉を浴びながら、喜びのうちに隣の村の女性を妻として迎えました。

 日常生活の様々な出来事を通して、神の印(しるし)や歩むべき道を見分ける人は幸いです。また神に対して揺るぎない信頼を示し、すべてを委ねる人は必ず神の摂理の助けを受ける人であり、幸せと出会うのです。むかし絶望のどん底に陥ったユダヤ人たちは「あなたの神、主が、私たちが歩むべき道となすべきことを、私たちに告げてください」(エレミヤ42,3)と預言者エレミヤに願いました。私たちも幸せに導くこの道を神が教えてくださるように祈ってはどうでしょうか…。


                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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