今 月 の こ と ば
2018年04月
脳みそ先生の知恵
 南フランスの小さな村に「脳みそ先生」と呼ばれている賢い先生が住んでいました。彼の指導や勧めを受けるために、隣の村や遠くの町から大勢の人が毎日ひっきりなしにこの村を訪れていました。脳みそ先生はユーモアのセンスを持ち、訪れる人々を驚かせる習慣がありました。ある日、脳みそ先生は「明日、私はみんなに役立つ面白い話をします。聞きたい人はぜひ教会の広場に集まってください」と言いました。

 翌日、教会の広場は話を聞こうと集まってきた人でいっぱいになりました。「さあ、それでは私が何について話すのか知っている人はここにいますか」と脳みそ先生が尋ねました。すると皆は声を揃えて「いいえ、分かりません」と答えました。「そうであれば、あなた方には私が話したいことを聞く覚悟がまだ出来ていません。明日もう一度来てください」と言うと、脳みそ先生は自分の家に帰ってしまいました。次の日、先生は昨日と同じように質問しました。「私が今から何について話すのか知っている人はここにいますか」。ある一人の人が答えました。「はい、ここにいる何人かは知っています。しかし、まだ全く分からない人もいます」。その返事を聞いた脳みそ先生は「そうであれば、私が話さなくても、よく知っている人が私の代わりに知らない人に教えてあげれば良いですね」と言い、笑いながら自分の家に帰りました。

 別の日、暴力的な5人の泥棒の裁判が行われました。脳みそ先生は責任者として裁判に出席しました。脳みそ先生は、囚人を1人ずつ別々に部屋に呼び全員に同じ質問をしました。「あなたは何をしましたか。なぜこの刑務所に入っているのですか」。4人の囚人は口々に「俺は何もしていない。これは大変な間違いだ。無罪なのに誤審のせいで入獄しているのだ」と答えました。しかし最後の1人は「私は有罪です。とても悪いことをしました。罰を受けるのは当然です」と真心から告白しました。それを聞いた脳みそ先生は看守を呼んで「この人を刑務所から直ぐ出して自由にしてください。自分の罪を認めた彼が刑務所に残るなら、無罪を訴えた他の囚人に悪い影響を与える危険性があるからです」と真顔で判決を下したのです。

 また別の日、脳みそ先生は新しい一万円札を群衆に見せました。「これを欲しい人がいますか」と尋ねました。大勢の人が直ぐ手を挙げて「私!」、「俺だ!」、「私も…」と答えました。先生はこの一万円札を強く丸めてクチャクチャにしました。「まだこのお札を欲しい人がいますか」そう聞くと「はい」、「はい、私も欲しい!」、「欲しいです」と皆が答えました。次に脳みそ先生は、この一万札を地面に落として足で何回も踏んでドロドロにし、たくさんの傷を付けました。「この汚くなったお札を欲しい人はいますか」と言うと、直ぐに皆が「はい」、「はい」と答えました。脳みそ先生は次のように言いました。「今あなた方は大切なことを学びました。この一万円札にどんなに酷いことをしても、このお札の値打ちは変わりません。同じように人生においてもあなた方が侮辱されたり、傷つけられたり、名誉を汚されたりすることがあっても、あなた方は神の目には尊い人です。どんな出来事もあなた方の命の値打ちを奪うことは出来ません。その大切な教えを忘れないように心に納めてください」そう言うと、脳みそ先生は一万円札を自分のポケットに入れ家に帰りました。

 「恐れるな。水の中を通るときも、火の中を歩いても、わたしはあなたと共にいる。わたしの目にあなたは値高く、貴く、わたしはあなたを愛す」(参照:イザヤ43,1-2、4)と、神も私たちに教えています。悪口や災い、不幸な出来事、あるいは罪と死でさえ決して私たちが神の子として持っている資格の価値を下げることは出来ません。ですから、人々や出来事が私たちを悪い者とする時には、神の目で自分自身をよく見てみましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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