今 月 の こ と ば
2018年02月
@リンゴちょうだい  Aごみの籠(かご)

 @リンゴちょうだい

  桜ちゃんは隣のおばあさんから美味しそうなリンゴを2個貰いました。とても幸せになった彼女は家に帰ってすぐ、お母さんを呼びました。「お母さん、お母さん、大きなリンゴを貰いました。見て、ほら、美味しそうですよ」と言いました。目を輝かせている幸せそうな娘の顔を見ながら、お母さんは優しい声で「私に1つちょうだい」とお願いしました。暫くの間なにも答えず、桜ちゃんはお母さんの顔を見て、不思議な微笑を浮かべました。そして、急に2個のリンゴをそれぞれ一口ずつかじりました。

  リンゴをかじった娘を見て、お母さんはとても驚きました。自分の顔の表情から優しさが消えていくのを感じました。「自分の娘がこんなにもエゴイストだったなんて…」とショックを感じました。しかし、お母さんは出来るだけ自分の落胆や不満を顔に表わさないようにしました。桜ちゃんは自分がかじったリンゴの1つをお母さんに渡しながら「はい、お母さん。このリンゴの方が美味しいですよ」と言いました。お母さんは、娘の優しい心遣いを理解し、喜びの涙を流したのです。

  私たちはともすれば目で見たことを基にして判断してしまいがちです。度々その判断は正しくないことが分かります。私たちが目で見ることには、事実ではない可能性があるのです。ちょうどこの話に出てきたお母さんのように。ですから、見た目だけで即決することは判断を誤る可能性があります。イエスが忠告したように、私たちは人の目にあるおが屑を取るために、まず自分の目にある丸太を取り除くべきです(参照:マタイ7,3-5)。

  Aごみの籠(かご)

  インドのある金持ちは理由もなく貧しい人を軽んじて、彼らをいじめることが大好きでした。「習慣は第二の天性たり」のことわざのように、この金持ちは役に立たない物を貧しい人々に与えることが常でした。たとえば、事故でぼろぼろになりスクラップにされた高級車の鍵を与えたり、底が抜けた古すぎる鍋を施し物として与えたり、水を入れることができないほど大きく割れたお椀を与えたりしました。

  ある日、この金持ちはごみでいっぱいになった籠を非常に貧しい人に与えました。貧しい人は金持ちを見つめて、「ありがとう」と微笑んで言いました。その籠を持って近くの川へ行きました。そして彼はこの籠の中身をごみ捨て場に捨ててから、川の水でこの籠をきれいに洗いました。洗ってきれいになった籠に、貧しい人はたくさんの美しい花をいっぱい入れました。彼は急いで戻り、金持ちの家の中に入り、金持ちに籠を返しました。金持ちは驚いて、「私はあなたに、ごみだらけの籠を与えたのに、どうしてあなたは私に花で満たされたきれいな籠を返すのですか」と尋ねました。すると貧しい人は「それは、みんな自分の心の中にあるものしか人に与えないからです」と答えました。その日からこの金持ちは、貧しい人たちをいじめるのをやめたそうです。

 人をいじめることは楽しいかも知れません。しかし、いじめられた人は深い傷を受けています。私たちの言葉や行いが、人を軽んじたり、恥を与えたりすることのないようにしましょう。人にしてもらいたくないと思うことは何でも、私たちも人にしないようにしましょう(参照:マタイ7,12)。聖パウロが教えているように「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちましょう」(参照:ローマ12,21)。自分たちの心から、良いもの・役に立つもの・値打ちのあるものを選んで賢明に人に与えましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
「今月のことば」目次へ
     HOMEへ