今 月 の こ と ば
2017年11月
旅路の障害物

 
  ある国の賢い王は、自分が治める民に正しい生き方や適切な行動の取り方を教えるために、様々な具体的な工夫をしました。たとえば、町を綺麗にするために、道に捨てられているごみや動物の糞などを拾う人々に対して王は数枚の金貨を与え、年寄りや体の不自由な人の世話をした人々に対して自分の食事を分かち合い、良い業を行う人に対して何にでも使える報酬を与える習慣がありました。民はこの王が、大好きでしたが、時々彼のやり方で非常に人々を驚かせることがありました。ある日、王は町の中央にある井戸に子ロバを入れました。なぜなら、水を汲みに来る人が、どのようにしてそのロバを救うのかを知りたかったからです。またある時には、巡礼者や貧しい人の真似をして物乞いをしたこともあります。王は、このように人々が驚くことを通して、自分の民を試すことが好きでした。

  そんなある日、王は宮殿に通じる道の真ん中に平べったい大きな岩を置くように命令しました。その岩があまりに大きいので、道の中央で大きな場所を取り、道の幅がとても狭くなり、人が通るのを妨げていました。そして王は近くに隠れて、宮殿に荷物を運ぶためにこの道を通る人の反応を見張っていました。最初に来た人は商売の人で宮殿にたくさんの布と生地を運んでいました。平べったい大きな岩を見て、彼は「誰がこんな岩をここに置いたのかは分からないが、王様は自分の道のメンテナンスにもっと気を配る必要があります」と言って、岩の上に自分のたくさんの荷物を置いて、自分は岩の横の狭いスペースを通ってから、今度は岩の上に置いたたくさんの自分の荷物を取り戻して、宮殿の方へ行ってしまいました。

 次の人は、荷物は運んでいませんでしたが、彼も文句を言いながら岩の上に登って、目指している宮殿の方へ行きました。特に、馬車でたくさんの荷物を宮殿に運んで来た人々は、荷物が多いのと馬が道を通れないので何度も往復して自分たちの荷物を手で運ぶ必要があったので、他の人たちよりも怒っていました。この日はたくさんの人たちがこの道を通りましたが、誰も岩を動かすことを考えませんでした。むしろ宮殿へ行く人も宮殿から出て来る人も、王様の悪口や彼の悪戯についてブツブツと不平を言って、岩の上に登ったり、岩の横の狭いスペースを通りながら、王様への不満を爆発させて去って行きました。

 次の日、王はまた昨日の場所に隠れていると、宮殿に野菜を運んで来た田舎の人を見えました。その人は岩をよく見てから自分の荷物を道に降ろして、その後で岩を動かそうとし始めました。田舎の人が岩を動かし始めると不思議な事に少しの力だけで、その大きな岩を簡単に道の端に動かすことができました。というのは、この岩はカタツムリの殻のように、外面は大きく見えますが、実は中身は全くなかったからです。田舎の人は運んで来た野菜を元に戻すために、岩のあった所へ戻りました。すると道の真ん中に小さな穴があり、そこに王が置いた金貨の袋がありました。田舎の人がその袋を開けてみると、たくさんの金貨と共に王様のメッセージを見つけました。「ご苦労様でした。これはあなたへの報酬です。今度から出会う人々に邪魔になる障害物、あるいはどんな試練や思いがけない出来事も、自分自身を試す役に立つもので、障害物を乗り越えるためにはそれを避けてぶつからないように回避したり、その障害物をよじ登ることではなく、むしろ今あなたがした様にその障害物をしっかりと掴むことが肝心です。このやり方で自分を鍛錬することが出来ます、という事を皆に教えてください。よろしく。王より」


 私たちは試練や病気や思いがけない出来事にぶつかる時に、文句や苦情を言いがちです。そしてできるだけこの試練を避けるように努力します。しかし、それらの障害物は私たちに問題を乗り越える智恵を豊かに与えるので、非常に役に立つものです。試練を乗り越える体験をしようとしない人は、人生に対して不満を持ち、いらいらし、苦情や文句を言う習慣ができてしまいます。試練を耐え忍ぶことではなく、災いを我慢することでもなく、試練を乗り越えるように信仰が私たちを後押しします。信仰の力を受けた私たちは絶望するのではなく、希望のないところに希望をおくことを教えています(参照:ローマ4,18)。ですから、聖パウロが勧めているように、出会う試練を上手に利用しながら「神の前に立つにふさわしい、鍛錬者、恥じることのない者になるように」(参照:2テモテ2,15)努めましょう。ことば201712

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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