今 月 の こ と ば
2017年10月
神は本当におられるのか?
 
信仰に熱心な人が、自分の髪の毛を切るために小さな村にある唯一の床屋へ行きました。この床屋は話をする事が大好きで、いつも、当たり障りのないことや村の日々の出来事について話してから、信仰に熱心な人を困らせるために、わざと神の存在の問題を出す習慣がありました。

  床屋は急に「私は神を信じません」と論じ始めました。「どうしてですか…」と信仰に熱心な人は尋ねました。床屋は「答えは簡単です。外に出れば、直ぐ分かるでしょう。店の前の家には、体の不自由な幼い子がいます。その隣の家には、主人が家族を捨てて出て行き、残された5人の子供を育てる母は、苦労の連続の生活を送っています。教会の直ぐ傍にあるあの酒屋には、失業者が寄って来てその内の何人かは、自分の不幸を忘れるために一日中お酒で酔っぱらっています。昨日は、一人のお婆さんが道を渡ろうとして車に跳ね飛ばされて、意識不明状態になりました。もし神がおられるなら、こんな悲しいことや恐ろしい事故、あるいは戦争や疫病、災いや死など決してある筈がないでしょう。神が存在しないので、この世には不幸が現れ続けています」と自慢げに説明しました。この議論を聞いた信仰に熱心な人は、ニコニコしながら、何も答えずに床屋が仕事を終わるまで待ちました。

  髪の毛を切ってもらったので代金を支払う時に、信仰に熱心な人が言いました。「私は、床屋の存在を決して信じません」と。すると床屋は「なにを言っているのか、馬鹿を言うな、私はここにいるではないですか」と言い返しました。それを聞いて、信仰に熱心な人は「外に出れば、直ぐ分かるでしょう。なぜなら、私がここに来る時に、村を歩いている人を見ました。彼の髪の毛はボウボウで長く、髭もとても汚かったです。もし、床屋が存在しているなら、こんな哀れな人と出会うことはないでしょう」と信仰に熱心な人は説明しました。「私はこの村で床屋の仕事をしています。彼が私の店に来るなら、私の存在を分かるでしょう。そのように髪の毛が長く、髭の汚い人がいる理由は、彼らが私の所に来ないからです」と床屋は言いました。「その通りです」と信仰に熱心な人が答えました。「大抵の人は、あなたも含めて、神の家に足を踏み入れないので、つまり教会に行かないので、神の存在が分かりません。それどころか神の存在を強く否定しています。この世の大勢の人は神を無視したり、或いは探し求めないので、この世界で苦しみをもたらす災いと思いがけない出来事が増えています」と、信仰に熱心な人は言いながら床屋の店から出て行きました。

  神の存在を否定することは簡単です。しかし、神を探し求めることは至難の業です。なぜなら、神はいつも日常の生活の出来事の中に隠れているからです。神の存在を見分けるために、神への信頼と神を探し続ける根気が必要です。また既に神を見付けた人の証しによって自分の希望を養うことも必要です。「神を探し求める人には、良いものの欠けることがありません」(詩篇34,11 「私を捜し求めるなら見出す」(エレミヤ29,13)と、神ご自身が私たちを励まします。ですから、「今日こそ、神の声を聞くなら、心を閉じてはなりません」(詩篇95,7)。


                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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