今 月 の こ と ば
2017年08月
人生の列車
 
この世に生まれる人は「誕生駅」という出発地点から列車に乗り、目的地の「永久(とわ)駅」を目指して、不思議な旅を始めます。この列車の中で、先ずその人は自分の両親や親戚の人々を発見し出会います。人は他の人から冒険の話を聞きながら、旅で出会う有名な駅の名前を教えられます。それは「幼児駅」「青少年駅」「青春駅」「成人駅」「老年駅」、そして臨終のトンネルを通りぬけると目的地の「永久駅」です。

 人はずっと自分の両親の傍で人生の旅を続けると思っていますが、思いがけないある時に両親は違う駅で降りて行かなければなりません。同じ列車に乗っていた親戚の人々も、友人も列車で出会った人も次々と其々(それぞれ)の駅で降りて行くことを防ぐことは無理です。

 時の経つのはなんと早いことでしょう。人々が駅で降りる時、いつも新しい見知らぬ旅人が列車に乗ります。この新しい旅人たちのある人は友になり、ある人は敵になり、また他の人は無関心で全く関係のない人になります。不思議なことに、大勢の人は旅の目的地を目指しますが、急に思わぬ時に「災い駅」、あるいは「事故駅」「病気駅」という場所で新しい列車に乗り換えなければならない時もあります。ある旅人は、絶望のあまり列車が走っている時に、列車のドアをこじ開けて線路に飛び込むこともあります。イライラして苛立つ旅人がいれば、ある旅人は、とても静かで目立たないので、彼らが列車から降りたことに誰も気が付かないこともあります。更に、ある人は旅の途中で、神の恵みの「永久駅」に無事に辿り着くために、「改心駅」または「赦し駅」「和解と仲直り駅」に立ち寄り、どうしてもそこで降りたいと望んでいます。この旅人たちの決定はいつも人々を驚かせ、また同時に同じ決定をした人々に対して神に感謝するように誘います。

 人生の列車の中には、いつも空席があるので、人々が次々に乗って来ても中々満席になりません。人生の列車の中の雰囲気は、喜び、涙、苦痛の叫び、怒り、笑い声、ため息、期待、希望や絶望などで溢れています。列車でよく聞く言葉は次のようです。「おはよう」「おめでとう」「さよなら」「また出会おうね」「ありがとう」「頑張ってください」「祈ります」などです。しかし、全ての旅人に対して解決できない大きな問題があります。いくら「永久(とわ)駅」を目的にしていても、途中である旅人は望まない駅に降りなければならない必要があるからです。

 人生の列車は、確かに冒険の旅に私たちを案内します。新しい人々と出会って、新しい住む場所を発見しながら、新しい生き方の駅に乗り換え、あるいは何回も降りた「試練の駅」「思いがけない出来事の駅」にもう一度辿り着くことで、私たちは豊かな人となるに違いありません。いつか臨終のトンネルを通りぬけて「永久駅」に到着する時、私たちは人生の列車に残っている旅人から離れなければなりません。その時、きっと自分自身も彼らも寂しくなるでしょう。しかし、彼らに荷物と遺産として、自分についての記憶、語った言葉、様々な思い出、写った写真、などを残して、軽くなった彼らは永遠の幸せに向かって走るでしょう。なぜなら「永久(とわ)駅」のホームで、彼らに先立って行った人生の列車の先輩たちが、喜びのうちに迎えるために待っているからです。

 キリスト者にとって、人生は「巡礼の旅路」です。洗礼という「天国のビザ」を受けた私たちは、「信仰の列車」に乗って、感謝と賛美のうちに大勢の人を旅の友にしながら、「永久駅」に向かって行きましょう。どうか皆が無事に永遠の幸せに辿り着きますように。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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