今 月 の こ と ば
2017年07月
神様の訪れ

   インドの信心深いブラーマンは、朝、昼、晩と毎日、隣の神殿へ行って神に供え物を捧げてから、暫く祈りの時間をとる習慣がありました。ある日、彼は熱心に神に「神様、何年も前から私は忠実に、聖なるガンジス川の水で体を清めてから、一日に三回ここに来て、あなたを訪れています。そして来るたびに、私はあなたに供え物を捧げます。ですからお願いです、せめて私の家を訪れてくださいませんか。一度いいですから」と神に願いました。神はブラーマンの祈りに耳を傾け「はい、では必ず、明日あなたの家を訪ねます」と答えました。幸せな気持ちになったブラーマンは、家に早く戻り、自分の家の大掃除をし、壁に宗教的な飾りをかけ、門のところにマンゴーの木の葉っぱのガーランドを飾りました。そして神へご馳走としてテーブルの上に様々な果物や山盛りの甘いケーキを準備し、香りの良い花を活けました。確かに、神を歓迎するために、このブラーマンの用意は完璧でした。

  神が来られる日、朝早く起きた信心深いブラーマンは、自分の家の門の前に立っていました。朝の祈りの時間に6~7歳の一人の少年が通り過ぎながら、ブラーマンの家の窓から匂って来る美味しそうな山盛りの甘いケーキを見て「ぼくは、昨日から何も食べていません、ケーキを一つ食べさせてください」と手を出しながら願いました。ブラーマンは「さぁ、さぁ、あっちへ行って。邪魔するな。あれは神のもので、君のためではない」と叫びました。少年が動こうとしなかったので、ブラーマンは怒って箒でこの少年を追い出しました。すると、ちょうどその時、朝の祈りの終わりを告げる神殿の鐘が鳴りました。「神は忙しいので、きっと昼の祈りの時に来られるでしょう」とブラーマンは考えました。朝からずっと立っていたので、足が棒のように疲れ果て、彼は家の前にあるベンチに座りました。

  昼の祈りの時に、汚い服を着た物乞いの人がブラーマンの家に近寄りました。「どうか、神の名によって、私をあわれんで、何か施し物をください」と願いました。ブラーマンは自分の箒を掴んで、それをぐるぐる回しながら 直ぐその物乞いの人を追い出しました。そして彼が立っていた所が汚れてしまったので、大量の水で洗い流しました。すると、ちょうど昼の祈りが終わりを告げる神殿の鐘が鳴りました。そして「きっと、昼間は暑いから、夜涼しくなってから、神は来られるでしょう」とブラーマンは考えました。

  やがて夜が来ました。神の来られるのを待ち望んでいるブラーマンは、段々寂しくなってきました。隣の神殿の鐘が晩の祈りの時を告げた時、一日中歩いて疲れ果てたある巡礼者がブラーマンの家の前にある木のベンチに座り、「少し休憩させてください。もし可能であれば、このベンチの上で夜を過ごして寝ることを許してくださいませんか」と頼みました。それを聞いたブラーマンは「とんでもないことです。このベンチはもう直ぐ来られる神のための物です。さあ、立ってあちらへ行って。邪魔するな」と言って、自分の箒で巡礼者を脅しながら彼を追い出しました。それから何時間も暗い夜の間中、ブラーマンは神の訪れを期待して待っていましたが、神は来られませんでした。

  次の朝、いつもの通り、ブラーマンは体を清めて、供え物を持って朝の祈りのために神殿に行きました。神の像の前にひれ伏した彼は、熱い涙を流しながら「神様、約束なさったのにどうして私の家を訪れてくださらなかったのですか」とわめきました。すると神は「私は三回行きましたよ。しかし、あなたは箒で私を三回とも追い出しましたよ」と彼に答えました。

 「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25,40)とイエスは教えました。神のために何でもしてあげると思っている私たちは、日常生活で出会う人に対して、神に対すると同じ気持ちと決意を持っていないことは明らかです。祈り、節制、断食、施しをするのは簡単ですが、思いがけない時に、急に訪れる人を大切にすることは至難の業です。この物語はそれを思い起こさせます。ですから、日々の生活の中で人を通して私たちのもとを訪れる神に気付いて、決して追い出すことのないようによく気をつけましょう。


                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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