今 月 の こ と ば
2017年03月
カラスの悩み
 
深い森に住んでいるカラスは、とても幸せでした。しかしある時、彼は町の方へ飛んで行ってみようと決めました。町へ行く途中、飛びながら下を見ていると一本の川が目につきました。そこには、一羽の白鳥がのんびり泳いでいることに気がつきました。カラスは白鳥に近づいて、次のように尋ねました。「ぼくは、真っ黒なので皆から嫌われています。あなたは真っ白で、とても美しいので、きっと世界中の皆から愛されている一番幸せな鳥ではないでしょうか」と。

 白鳥はカラスに答えました。「つい先ほどまではそうでしたが、2時間前に動物園の上を飛んでいた時、私はカラフルな色をした美しいオウムを見ました。それに比べて、私は口ばしと足以外はすべて真っ白です。このオウムは私よりもきっと、もっと幸せな鳥だと思います」と。それを聞いたカラスは直ぐに動物園の方へ飛んで行きました。

 しかしオウムに話を聞くと、このオウムも一番幸せな鳥ではありませんでした。オウムの話によると、動物園の孔雀は毎日自分の周りにたくさんの人を集めているので、一番幸せな鳥だと説明しました。「この孔雀野郎が、ここに来るまでは、私はとても幸せでした。皆が私を見て喜んだり、話かけたりしていました。しかし今、皆は自惚(うぬぼ)れで、『俺を見ろ』とばかりの見栄っ張りの孔雀のそばに集まって、彼の広げる尾羽を見て、凄く喜んで拍手をするではありませんか。あの高慢な孔雀野郎こそ、世界中で一番幸せな鳥に違いありません」とオウムはカラスに訴えました。

 そこでカラスは、孔雀の所へ飛んで行きました。たくさんの人が孔雀を囲んでいたので、近寄ることができませんでした。動物園の門が閉められて皆が自分の家に帰った後、カラスはようやく孔雀と話すことができました。「お偉い孔雀様、あなたは美し過ぎるので、数え切れない大勢の人々があなたを見るために、毎日あなたの傍に集まって来ます。ところがぼくは真っ黒なので、人々がぼくを見るたびに石を投げて追い払おうとします。ですからあなたは、世界中で一番幸せな鳥だと、わたしは思います」と、カラスは言いました。

 「私もここに連れて来られた時には、そう思っていました。しかしこの動物園が、私の自由を奪いました。いくら人々が私の美しさに感動して褒め称えても、私は最早(もはや)この鉄の大きな鳥かごから出ることができません。私は、一番幸せな鳥ではなく一番哀れな、自由を失った不幸な孔雀でしかありません。ああ、もし私が一羽のカラスならなんという幸せでしょう。人々の好奇心をそそのかす目を避けて、あなたのように行きたい所へ行って、自由な生活を送るでしょうに…」と孔雀は嘆きました。

 私たちは自分を他の人々と比較して、自分の悩みや嫉妬、野望を到る所に運んでいます。それは自分を閉じ込める大きな鳥かごのようになっています。自分の幸せは他の人の内にあるのではなく、自分自身の内にあるのです。それを見つけることが最も大切なことです。神は私たちの幸福を望んでおられるので、私たちに命の賜物を与えた時、同時に幸せの小さな鍵を私たちの心に置いてくださいました。神が語る言葉に耳を傾けるならば、必ずその小さな鍵を簡単に見つけることができるでしょう。「それは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは私たちのごく近くにあり、私たちの口と心にあるのだから、それを行うことができる」(参照申命記30,11・14)と神は教えています。幸福が私たちの内にある理由は、私たちが人々を幸せにするためです。

 実際、幸せは熱気球のようです。悩み、嫉妬、欲望、高慢、怒りというバラスト*を捨てれば捨てるほど、この幸せは大きくなると同時に人の魂は、上へ上へと昇り、神にまで高められます。ですから神の前でも、人々の前でも謙遜に幸せな人となるように諦めずに努めましょう。 

 *バラスト…船を安定させるために船底に積む砂・砂利・水・油などの重量物

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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