今 月 の こ と ば
2016年12月
樵(きこり)
 
 ドイツ人の力の強い樵は仕事を探していました。彼は「黒い森」というところで、ようやく雇い主を見つけました。仕事の契約条項は非常に良く、給与はとても高給でした。そのために樵は力を尽くして、出来るだけ精一杯よく働こうと決心しました。監督は彼に新しい斧を与え、彼の仕事場に連れて行きました。

 最初の日、樵は自分の仕事に夢中になって、与えられた新しい斧で、気がつくと十八本の松の木を切り倒していました。彼の仕事ぶりを見て、監督は彼を称賛しました。監督のお褒めの言葉を聞いて力づけられた樵は、明日はもっと働こうと決心しました。しかし、2日目はいくら頑張って木を切っても十五本の松の木しか切り倒すことができませんでした。気を取り直して、樵は次の日は前の日よりももっと努力しました。しかし、樵は3日目には、十本の松の木しか切り倒せませんでした。そして、次の日、また次の日と、日が重なるに連れて、彼の切り倒した松の木の数は段々少なくなっていきました。

 「私は力が弱くなったに違いない」と樵は考え始めました。そこで彼はお詫びしようと監督の所へ行き、「自分はどうしてこんなに力が弱くなったのか、全く分からない」と言いました。監督は、彼をじっと見つめてから「私があなたに渡した斧を最後に研いだのは、いつでしたか」と尋ねました。「そういえば、斧を研ぐ時間がありませんでした。なぜなら、私は松の木を切り倒すことでとても忙しかったからです」と樵は答えました。監督は樵に「さあ、今すぐあなたの斧を研いでください。そうすれば、あなたの体の力が戻ってくるでしょう」と勧めました。

 「あぁ、忙しい、忙しい」と私たちも言いがちです。時間がないという理由で私たちは自分の魂を研ぐことを忘れてしまいます。確かに、忙しければ忙しいほど、ますます幸せが遠く離れていくと人は感じます。体を健康に保つ必要があるように、自分の魂も大切に世話をする必要があります。なぜなら、私たちが魂に与える関心事のうちに幸せの鍵を見つけるからです。主キリストが教えたように「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の魂を失ったら、何の得があろうか」(参照:マルコ8,36)

 一生懸命に働く事や、疲れるほど仕事に夢中になることは罪ではありません。しかし、自分を霊的に養い、育てることはもっとも大切なことです。体はいつか滅びます。しかし、魂は永遠に残ります。人々と神に向かって生きる大切さを見失わないように、自分の永遠について考える習慣を身に着けましょう。神が人となられた神秘は、そのことを私たちに思い起こさせます。神は世の終わりまで、毎日私たちと共におられる(参照:マタイ28,20)ので、私たちも生きている限り、毎日、神と共に留まるようにしましょう。そうすれば、私たちの魂は、鋭い斧のように、そして力を発揮する両刃(もろは)の剣のように(参照:ヘブライ4,12)、私たちの人生にあるすべての妨げを簡単に切り倒すことができるのです。  


                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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