今 月 の こ と ば
2016年08月
雪の小片

 仙台の山地に住んでいた、何にでも興味があり、好奇心旺盛なあるシジュウカラは、寒い冬の朝早く、自分のそばに飛んできた一羽のアカゲラに訊(たず)ねました。「君は知っているかい。ただ一つの雪の小片の重さを…?」少し考えてからアカゲラは「それはとても軽いので、きっと、その重さはゼロに等しいでしょうね。しかし、どうしてそれを知りたいのですか」と答えました。

 そこでシジュウカラは次の説明を始めました。「ぼくは、何でも知りたいし、また謎を起こす物事について強い興味を持っています。というのは、先日、冷たい風を避けて、ぼくが大きな松の木の枝で少し休んでいた時、雪が降り始めました。この雪は、音を立てずにゆっくりと降っていました。ぼくはたっぷり時間があったので、隣の小さな枝に落ちてきた雪の小片を一つずつ数えようと考えました。ぼくが数えたところによると、確かこの枝に降ってきた雪の小片の数は751,972個でした。ぼくは長い間、雪の小片を数えたので、とても目が疲れました。でも、ぼくは良く覚えています。重さがゼロに等しい751,972個の雪の小片が隣の小さな枝に降った時、何と、その枝がポキッと折れました。」

 シジュウカラの話を聞いて、アカゲラは少し考えてから「ぼくは、はっきりとは知らないけれど、きっとゼロに等しい雪の小片にも僅かの重みがあるのだと思います。その雪の小片のゼロに等しい僅かの重みも、たくさん集まるとかなりの重さになるんじゃないかなぁ…。だから、すべてをひっくり返すためには、ほんの少しのもので十分なのかも知れません」と言いました。 「ぼくも、そう思っていたよ」とシジュウカラが同意しました。
 そこで、私たちも考えましょう。私たちの人生をひっくり返し、味わっていた平安を奪うためには、ある人のたった一言(ひとこと)の言葉だけ、あるいはたった一つの不注意なふる舞いだけで十分なのではないでしょうか。あるいはまた、ほんの少し状況が変わったとか、思いがけないつまらない出来事が起こることで十分なのではないでしょうか。そう考えれば、逆もまた真(しん)なりで、自分たちの周りにいる人々が幸せを味わうように、たった一言の簡単な挨拶や優しい微笑だけで十分なのではないでしょうか。同様に、すべてが上手くいくようにするためには、ほんの少しの協力が大いに役に立つということに誰でも気がつくでしょう。

 自分の仕事に、自分の家庭に、あるいは自分の教会の共同体にもう少し熱心になれば、きっと何かが変わるでしょう。世界と社会が必要とする物事を海とするならば、自分の小さな協力はまるで一滴の水に等しいかも知れませんが、その一滴(祈りや慰めの言葉や励ましの言葉、あるいは人のそばに謙って留まる事など)は、きっと、良い結果をもたらすでしょう。確かに、降ってくる雪の小片のように、繰り返される小さな愛の具体的なしるしや思いやりの行動は、この世を美しく変化させます。私たちキリスト者としての生き方も、私たちの信仰の証しも、雪の小片のように静かに自分の周りを真っ白に、そして、美しく変え、平和をもたらしますように。そうすれば、主イエスは私たち一人ひとりに次のように語るでしょう。「忠実な良い僕(しもべ)だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。わたしと一緒に喜んでくれ」(参照:マタイ25、21)と。私はそれを強く望んでいます。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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