今 月 の こ と ば
2016年06月
蛙たちの200メートル競争
 
 毎年夏の終わり頃になるとある国の蛙たちは、200メートル競走をする習慣がありました。 このレースの目的地は高い丘の頂上でした。 しかし、この伝統的な競争が始まった時から、蛙たちは一度も丘の頂上に辿り着くことができませんでした。 それにも拘らず、このレースは毎年行われ、優勝をするために様々の所からたくさんの蛙が集まって来ていました。 その中に自分たちが優勝すると思う蛙を応援するファンの蛙たちが、たくさんいました。

 いつものとおり蛙たちの200メートル競走が始まると、ファンの蛙たちは小旗を振りながら大声でレースに参加する蛙たちを元気づけます。 「さあ、頑張って、頑張って、元気でピョンピョン跳(と)んでね」と、レースが始まった時に叫んでいたファンたちは、レースの厳しさを感じ、だんだん「このレースは難しいけれど、諦めずに頑張って…」といい始めました。 というのは、出発点では、蛙の数はおよそ百匹でした。 しかし初めの楽な丘を過ぎると坂は急に険しくなったので、50メートルの坂を登ることができた蛙の数は四十匹しか居ませんでした。 勿論、ファンの蛙は険しい坂を登ることができなかったので、遠くからスピーカーを使って応援し続けました。 しかし、レースに参加して残っている蛙の苦労を見て、気の毒に思ってファンたちは「無理だ、無理だ」とか「無理にしなくてもいいよ、この坂は険し過ぎるから…」と叫び始めました。 レースに参加している蛙たちを落胆させ、がっかりさせるこれらの言葉を聞いて、何匹もの蛙が勇気を失ってレースを辞めました。

 レースの出発の時点で、上手にピョンピョンと跳び上がっていた蛙たちは、一匹、また一匹と歩き始めました。 参加者たちを落胆させるファンの叫び声の影響を受けた多くの蛙は、とうとう途中でレースを諦めてしまいました。 そんな中で、ただ一匹の蛙だけが丘の頂上からまだ遠くにいましたが、黙々と目的地を目指していました。 「無理、無理、この丘は険しくて、高すぎるだろう」、「池の水から長く離れているので、皮膚が乾いて、君の命が危ないよ」、「丘の頂上に辿り着けなくていいよ」とファンの蛙たちが、ますます力を込めて叫んでいました。 しかし、この最後の一匹の蛙は、落胆と絶望的な叫びと、失敗することを望む叫びを無視して、険しい丘の坂をゆっくり・ゆっくり、頂上を目指して一歩・一歩進み続けました。 それを見ていたファンたちの叫びが続きました。 「どうして諦めないの、無理に頑張って歩かなくてもいいよ。 ここまでよく頑張ったのだから、辞めても恥ずかしくないよ」と皆が叫んでいました。 これらの叫びを無視して、ようやくこの一匹の蛙は高い丘の頂上に辿り着きました。

 審判者の蛙は、この蛙に優勝のトロフィーを渡しながら「どうしてこの200メートル競走を終わりまでできたのですか。 皆は途中で辞めたのに…」と聞きましたが、この蛙は何も答えませんでした。 審判者は同じ質問を何回も繰り返しましたが、優勝した蛙は返事をしませんでした。 なぜなら、この蛙は耳が聞こえない蛙でしたから。

 消極的や悲観的な人の話、あるいは落胆させる言葉に耳に傾けるなら、誰であってもこのたとえ話の蛙のように、自信を失い、抱いていた希望を諦めてしまいます。 テレビ、新聞、人の噂などを盲目的に、聞いたままに、何も判断せずに受けることは危険です。 自分の人生の目的を一生懸命に目指そうとする人は、人々の励ましや誉れの言葉、いろんな勧めに耳を傾けるよりも、自分の心にある希望や飛躍に従う方が有益です。 また失敗を望む言葉や消極的、あるいは絶望的な説明を聞くよりも、目的を失わずに、自分の勇気を尽くす必要があります。 「何を聞いているか、またどう聞くべきかに注意しないさい」(参照::マルコ4,24とルカ8,18) とイエスは教えています。 この賢い勧めを心に留めましょう。 同時に聞いたことについて正しく判断する恵みを、真理の言葉を持っておられる神に願いましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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