今 月 の こ と ば
2016年01月
 兎君と猿君の癖

 兎君にも猿君にも、それぞれ一つの癖がありました。 臆病な兎君は危険が来るか来ないかと恐れて、確かめるためにいつも頭をあちらこちらに回していました。 猿君は体中が痒くてたまらなかったので、ずっと背中を掻いていました。 「どうして、僕が話している時、君は頭をずっと動かしているのですか」と猿君が聞くと「君だって、僕が話している時、自分の体をずっと掻いているではないですか」と兎君は答えました。 猿君は「それは、それは。 しかし僕が、一度決心したら激しい痒みでさえ我慢できるさ」と言い返しました。 すると兎君も「猿君ができるなら、僕も、じっとすることくらい出来るさ」と自慢げに答えました。 そこで兎君と猿君は、十分間じっとして動かないように出来るかどうか賭けをすることにしました。

 しかし、二人共長い時間じっと我慢することが出来ませんでした。 猿君はすぐに体が痒くてたまらない状態になって来ました。 臆病な兎君は自分の安全を確かめることが出来ないので、不安に震え始めました。 しかし賭けに負けたくないので、兎君は自分に起こった昔の出来事を猿君に打ち明けました。 「ある日、僕が広い平原にいた時、とんでもない危険に出会いました。 急に色んな場所から大勢の犬が現れ、左も、右も、前も、後ろも囲んでしまいました。 なので、僕は左も、右も、前も、後ろも、どこにも逃げる場所がなくなりました」と語りながら、兎君がその経験を身振りで伝えようとして、頭をあちらこちら色々な方向に回しました。 すると賢い猿君は、兎君の上手な誤魔化し方に気がついて、彼の話が終わらないうちに、自分の話を始めました。 「僕も、酷い目に会いました。 悪戯っ子たちが、僕に石を投げたので、僕は急いで近くにあった高い木に登りましたが、彼らの投げた石は、僕の体のあらゆるところに当たりました。 背中や手や足、あるいは僕の頭や腰に当ったので、とても痛かったよ」と、猿君が説明しながら自分の体の各部分を示して、上手に痒い場所を掻きました。

 兎君は自分の真似をする猿君を見て、大声で笑いました。 お腹を抱えて笑う兎君を見て、猿君も笑い始めました。 二人共、十分間という僅かな時間もじっとしていることが出来ないことが分かって、兎君と猿君はありのままにお互いの癖を認めようと決めました。

 誰にでも癖はあるものです。 普通、癖は人を軽蔑させ、苛立たせ、あるいは人を嘲笑います。 しかし癖は、誤りや思い違いではありません。 癖の由来を知っていなくても、この自然な動きを簡単に直す力と権利を持つ人はいないでしょう。 人々の間にある平和と良い雰囲気を破壊するために、人の癖を利用する人がいれば、人々の間に友情の関係を強くするために、人の癖を上手に使う人もいます。 キリスト者である私たちは、幸せな絆をつくる人とならなければなりません。 人を嘲笑い、軽蔑するのではなく、私たちは人を愛し、尊敬し、友とする責任を持っています。 なぜなら「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に豊かに注がれたからです」(参照:ローマ5,5)。 いつくしみの特別聖年に当たって 人の癖を見たなら 必ず自分自身の欠点や短所を思い出し、自分自身について先ず笑いましょう。 そうすれば、共に生きる喜びを味わうようになり、すべてを優しい眼差しで見るようになるでしょう。 猿年の新しい年を迎えて、兎君のように 危険について明白な人となり、猿君のように痒いところを遠慮なく掻いて、耐えられない状態の時には、はっきり自分の意見を言って、自分と合わないことをはっきりと表現して、幸せな年をつくりましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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