今 月 の こ と ば
2015年10月
 えんぴつの特徴

 
   太郎君という7歳の孫が手紙を書いている自分のお祖父さんを見て、次のように聞きました。 「僕のことを書いているのですか?」と。 お祖父さんは、暫く書く手を止めて微笑みながら、孫をよく見て答えました。 「そうだよ、君のことを詳しく書きましたよ。 しかし大切なことは、私が書いた手紙の文字ではなく、書く為に使ったこの鉛筆です。 君がいつかこの鉛筆のような存在になったら、私はどんなに幸せでしょう」と。

  太郎君はお祖父さんの鉛筆をとって、それをよく見てから「この鉛筆は、別に珍しくありません。 僕が使っている鉛筆と同じです」と言いました。 「そうだよ、その通りだよ。 でも、その人の見方によって、この鉛筆の五つの特徴を見分けられます。 もし君が大人になった時、この五つの特徴を持つなら素晴らしい生活を送るに違いありません」とお祖父さんは答えました。 その言葉に非常に興味を表した太郎君に、お祖父さんは鉛筆の特徴を説明し始めました。

   「第一の特徴は、誰かの手の助けがなければ、この鉛筆は何も書けません。 たとえば、私の手の助けでこの鉛筆は手紙や小説や様々な絵や短いメモなどを書くことができます。 君が大人になったら、色々目立つ素晴らしいことも、あまり目立たないことも実現できるでしょう。 しかし、決して忘れないで欲しいことは、それが出来るのは誰かの手という助け手が、君を導いているからです。 この手は神の手を初め、君の両親や親戚の手でもあり、また君の教育者や友達の手でもあります。 大勢の人の助けや教えと導きなしには、君が素晴らしい人間にはなれないからです。

   第二の特徴は、この鉛筆が綺麗に書き続けるためには、度々鉛筆削りを使うことが必要です。 その時、鉛筆は少し苦しむでしょう。 しかし後で、とても綺麗な洒落れた線を書く事になります。 君も、度々ある種類の試練の苦しみを耐え忍ぶことを学ばければなりません。 なぜなら、この試練は君を揺るぎない強い者、経験のある者、勇気のある者とするからです。

  第三の特徴は、鉛筆は上手に書かれていない文書や間違っている漢字を書き直すために、消しゴムの助けをかります。 君も犯した過ちや失敗したことを認めて、必要なら『ごめんなさい』と言って、その過ちを直すために、その過ちが大きいものであろうと、小さい詰まらないものであろうと、必ず赦しと人の助けをかりなさい。 人間の社会が要求するのは、正しく生きようとする人であり、失敗を越える勇気を出そうとする人です。

   第四の特徴は、鉛筆の材料や色ではなく、まして外面的な形でもありません。 大切なのは、よく見ないと目に留らないこの鉛筆の芯です。 なぜなら鉛筆の芯なしには、何も書くことが出来ないからです。 ですから君の心も大切にしなさい。 特に君の建前と本音がぴったり一致するように努めなさい。 また君の考えが心にある思いを正直に現すように、君の口から出る言葉を注意深く見張りなさい。

   最後に鉛筆の第五の特徴は、鉛筆は必ずメッセージや絵や印などを残します。 君の人生も歴史の流れの中で、きっと何かを残すでしょう。 ですから、人の心に、そして自分の心に深い刻印が残るように、悪い行いや人を傷つける言葉、人を軽蔑する態度を捨て、善を選び、そして多くの人に役に立ち、幸せをもたらす物事を探し求めなさい。 なぜなら、ただ君だけが自分の言葉と行いの責任者だからです」とお祖父さんは、太郎君に真剣に説明しました。

   この太郎君に説明した物語は、私たちにも言われています。 聖書全体は、人が鉛筆の特徴を持ち、それをよく育てることを勧めています。 神の前でも、人々の前でも正直に、正しく生きるように、すべての人に要求されています。 鉛筆の中に隠れている、細くて強い芯のように、キリスト者としての「私たちの命はキリストと共に神の内に隠されています」(コロサイ3,3)。 私たちが行うことは、全て神の愛と救いの計画に親密に結ばれているので、目に見えるしるしを残します。 従って、他の人よりも私たちは自分の人生の責任を背負っているのです。 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(フィリピ2,14-16)と聖パウロは私たち一人ひとりに願っています。 この物語の鉛筆の特徴を持ち続けるように、互いに助け合い、励まし合うようにしましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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