今 月 の こ と ば
2015年7月
静かな心で

 ある日、インドのアーシュラム(聖者の指導のもとに修行者がともに生活する道場)の先生は清めの式のためにガンジス川へ行きました。数メートル離れたところで、ある家族のメンバーが激怒して、互いに向かい合って、大声で叫んでいることに気づきました。彼はそれを見て微笑みました。そして自分の弟子たちを呼び寄せて、彼らに次のように尋ねました。「怒っているこの人たちが、なぜ互いに向かい合って叫んでいるのか、言い当ててください」と。

 弟子たちは少し考えた後、正しい答えを出そうとしました。「意見が合わなかったから、彼らはその不満で喧嘩をしています」と、一人の弟子が答えました。先生はニコニコしながら「彼らは顔と顔を合わせているので、叫ぶ必要がありません。むしろ、優しい声で言いたいことを互いに言えるでしょう」と、言いました。「もしかしたら、皆、耳が遠くなっているのではないですか」と、もう一人の弟子が答えました。先生は笑いながら「いいえ、そうではないです」と、言いました。そこでもう一人の弟子は「きっと、自分の違った意見をはっきり聞かせるために皆が叫んでいるのでしょう」と言いました。さらに、他の弟子は「ああ、分かりました、今日の昼ご飯がまずかったのでしょう」と説明しました。弟子たちのすべての答えを聞くたびに、アーシュラムの先生は笑い続けました。

 弟子たちが正しい答えを見つけられなかったので、先生は次のように言いました。「二人の人が互いに怒っている時、彼らの心は互いに遠く離れます。自分の意見を伝えるために彼らは、どうしても、叫ばなければなりません。それは二人の心が離れてつくってしまった心の距離を乗り越えるためです。怒れば、怒るほど彼らはもっと大きな声で叫ばなければなりません。なぜなら、彼らの心はもっと離れるからです」と、先生は説明しました。「それでは、具体的な例をあげましょう。恋人たちは絶対に大きな声では、話しません。彼らの心がとても近いので、彼らの口から出る言葉は小川のせせらぎに似ています。時には、彼らには言葉さえ要りません。お互いを見つめることだけで恋人たちはさまざまのことを悟るからです」と先生は言いました。さらに、自分の弟子たちをよく見ながら、先生は次のように結論を出しました。「あなたたちが相談する時に、自分の心が遠く離れないように気をつけてください。さもないと、いつか心の距離が広がりすぎると、もはや出会う道を見つけることができないという危険があります」と。

 私たちは不満を抱えている時、自分自身を制御することや冷静さを保つことが難しくなります。落ち着いた気持ちで自分の不満の理由と原因を究明し、分析するよりも、私たちはすぐ感情的に激しく怒るのです。たびたび怒りのあまり、ある人々は罵って、暴力をふるうのです。ですから不満が私たちの心を満たす時には、必ず口を堅く閉じましょう。自分をコントロールするために、自分を怒らせた人に対して忍耐と信頼が必要です。「わたしは柔和で、謙遜な者だから、わたしに学びなさい」(マタイ11・29)とイエスは言いました。罵られ、侮辱され、殴られてもイエスはへりくだってかがみ込み口を開きませんでした。

 「沈黙して、悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ」(参照:詩編37・7-8)と聖書は勧めています。怒りはいつも高慢から湧き出ます。罵りと暴力は自己愛から生まれてきます。ですから、自分の内に静かな心を育てるように主イエスに学びましょう。神の似姿に造られた私たちは、神のように「怒るに遅く、忍耐強く、慈しみ深い」人となりましょう。人に向かって大声で傷つける怒りの言葉を叫ぶよりも、あなたの霊性と静かな心によって福音が与える救いの喜びと平和の喜びを叫びましょう。

                         主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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