今 月 の こ と ば
2015年04月
大事な選び
 ある寒い冬の夜遅く、簡素な家に住んでいる夫婦が食事をしている時に、誰かがドアを叩いていることに気づきました。 奥さんがドアを開けると、三人の老人が立っていました。 そのうちの一人が直ぐに「何か私たちに食べさせてください」と願いました。 心の優しい奥さんは「そのようにしたいのですが、我が家は貧しいのでスープしかございません。 それもほんの少しだけ残っていて一人分がやっとで、三人分はありません」と答えました。 一人の老人が言いました「ご心配なく、それで充分です。 ただ、私たちの三人のうちの誰がそのスープをいただくかを選んでください。 私は“富”と呼ばれています。 私を選ぶなら、あなたの家に絶え間ない豊かさを招き入れます」と説明しました。 次の老人は「私の名は“幸福”です。 もし私にスープをご馳走してくださるなら、私はいつまでもあなたの家に幸運をもたらします」と言いました。 三番目の老人は「私は“愛”と呼ばれています。 私を歓迎してくださるなら、あなたの主人とあなたの間の愛を永遠にします」と約束しました。

 この奥さんはどうすれば良いのか分らなかったので、「少しお待ちください」と言って、ご主人の傍に行って、三人の老人の話を説明して誰を招くか相談しました。 この夫婦は、自分たちは貧しい生活を送っているので、富があれば何でもできると考えました。 今まで私たちは愛し合っているし、また元気で暮らして来ているので、永遠の愛も絶え間ない幸福も拒んでも問題にならないと結論しました。 そして奥さんは、三人の老人の所に戻ってきました。 しかし彼女は、今、夫と決めたことを変えて、「私たちのほんの少しのスープを分かち合うために“愛”を私たちのテーブルにお招きしたいです」と言いました。 この答えを聞くと、三人の老人は一緒に狭いドアを通って夫婦の家に入りました。

 驚いた奥さんは「お招きしたのは一人だけなのに、どうして皆が一緒に入るのですか?」と尋ねました。 すると、一人の老人が答えました。 「あなたたちは良い選びをしました。 “愛”を受け止める人は、同時に自分の家に幸福と豊かさの訪れを受けることを可能とするからです。 愛に勝つものは何もありません。 愛は人の人生をあらゆる面で満たしますから」。

 もし、人がからし種一粒ほどの信仰を神に示すなら、神は直ぐご自身の全てと持っておられるものを全て惜しみなく、その人に与えてくださいます。 残念なことですが、この世では富と幸福を追求する人々が大勢います。 簡素な生活を避けて、まだ長く使える可能性のある物を捨て、新しい物を手に入れるために長い行列をつくる程に競争します。 神の愛は、人の豊かさと幸福であることを忘れるキリスト者も、時々この新製品の競争に盲目的に参加しています。 この世を去る時に、人は集めた富や物を自分の墓まで持って行くことは出来ません。 愛だけが永遠に続き、愛だけが人を死後の世界まで伴います。 私たちは集めた富、味わった幸せについてではなく、「ただ示した愛についてだけ、神に裁かれるでしょう」と、十字架の聖ヨハネは教えました。 ですから「神の愛が私たちの心に注がれている」(ローマ5,5)ことを思い出しながら「自分のために生きる」(ローマ14,7)のではなく「愛によって生き、愛のために生きる」ように全身全霊を尽くしましょう。  


              主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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