今 月 の こ と ば
2015年02月
様々な見方

【その1】

  新婚生活を始めた若い夫婦は新しいマンションの5階に引っ越しました。 このマンションの窓から、向かいの建物のマンションの様子をよく見ることが出来ます。 引っ越しの次の日に、朝食を食べている時に、向かいのマンションの部屋の女性が洗濯物を広げて干しているのを若い妻が見ました。 「あの人は服を洗うのがとても下手ですね!見て、あの洗濯物はまだ汚れていて、真っ白ではありません」と、彼女はご主人に言いました。 主人はそれを見ましたが、何も言いませんでした。 向かいのマンションの女性が洗濯物を干す度に「見て!あの汚い洗い方。 どうして彼女はもっと綺麗に洗濯物を洗わないのでしょうか?」と若い妻が言いました。 主人はいつもの通り無言でした。

 しかしある日、この若い妻はとても驚きました。 と言うのは、向かいのマンションの女性の干している洗濯物が真っ白で綺麗に洗ってありましたから。 「あなた、見て、彼女はやっと洗濯物を綺麗に洗うことが出来ました。 一体誰が、彼女に洗い方を教えたのかしら…?」と若い妻は主人に尋ねました。 彼は、直ぐに答えました。 「誰にも…。 初めから彼女の洗濯物は綺麗でした。 ただ、私が今朝、早めに起きたので、このマンションの汚い窓ガラスを全て綺麗に拭いただけです」と主人は答えました。 イエスが言われたように、私たちは「人の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのでしょうか」(ルカ6,41)。 ですから、人のやり方を批判する前に、自分の眼差しの質を正して、自分の心を汚す(けがす)ものを綺麗に掃除しましょう。





【その2】

  昔あるアフリカの王が自分のすぐ傍に幼ない時から大好きな親友を置きました。
しかしこの親友は、良い出来事に対しても悪い出来事に対しても「それはとても良かった」と言う癖がありました。 ある日、ライオン狩りに行った王が、不注意によって銃を落とし、その衝撃で発射された弾(たま)は、王の親指を打ち抜いてしまいました。 それを見たこの親友は直ぐに「それはとても良かった」と言いました。 それを聞いて、とても怒った王は彼を宮殿の牢に投獄しました。 一年が過ぎて、王はもう一度ライオン狩りに行きました。

 ところが、王は人食い部族に捕らえられてしまいました。 彼らは大きな鍋と蒔きの束を持って来ましたので、王は観念して「きっと自分の人生は、彼らの鍋の中で終わるに違いない」と思いました。 ところが、彼らの中の一人の者が、王の手の親指がないことに気づきました。完璧でない人の体を食べると自分たちに必ず恐ろしい病気が襲ってくる、と言う迷信を信じていた彼らは、直ぐに王を解放して追い出しました。
 宮殿に戻って来た王は、その時、親友の「それはとても良かった」と言う言葉を思い出しました。 牢からその親友を解放した後、王は彼に言いました。 「君が正しかった。 私が親指を失ったことは、本当にそれはとても良かった」と王は認めました。 そして自分がどんな危険を冒したかを親友に説明し「君を牢に入れたことを赦して欲しい」と願いました。 それを聞いた彼はす直ぐに返答しました。 「牢に入れたのは、それはとても良かった。 だって、もしその時に、僕(ぼく)が王様と一緒にいたなら、人食い部族の
人たちの鍋の中で僕の人生は終わっていたでしょう。 きっと食べられたのは僕(ぼく)だけだったでしょう。 嗚呼(ああ)、それはとても良かった」と笑いながら王の親友が言いました。

 私たちもこの親友のように、日常生活の出来事を全て良い目で見るなら、きっと私たちの人生の幸せを深く味わうでしょう。 聖パウロが言っているように「神を愛する人は万事が益となる」ので、神の愛で包まれている私たちは何も恐れることはありません。


              主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
「今月のことば」目次へ
     HOMEへ