今 月 の こ と ば
2014年10月

王様の庭園

 ある王は自分の宮殿の傍に立派な庭園を造らせました。 この庭園には珍しい花々や色々な種類の木々や美しい植物が植えられていたので、庭園の評判は遠くまで広まりました。 毎日、王様は庭園の中を歩きながら幸せな気分になり、それぞれの木々や花々や植物を見たり、触れたり、親切な言葉をかけたりしていました。 王様にとってこの庭園は憩いと安らぎの場でした。 ある日、王様は遠くに旅に出かけました。 長い旅から帰って直ぐに、王様はまた以前のように庭園の散歩を始めました。 ところが、王様は変わり果てた庭園の様子を見て非常に驚きました。 何故なら木々も花々も植物もみな弱り果て、半分枯れていたので、とても心が痛みました。

  以前は生き生きとしていて、とても荘厳な松の木に王様は何があったのか尋ねました。  「王様が僕に長い間会いに来てくれなかったので、僕は酷く孤独を感じて自分はもう役に立たないと思い、とても寂しくなり、隣のリンゴの木を見て彼が羨ましくなりました。 だって僕は彼のように甘くて美味しい実を結ぶことは出来ません。 僕は絶望し、弱り果て枯れ始めました」と松の木は答えました。 「そうだったのか!それは、可哀想に、私は遠く離れていても、ずっと君を思い愛し続けていたのだよ」と王様は松の木に答えました。

  次に王様は、半分枯れかけているリンゴの木と出会ってその理由を尋ねました。 「王様が僕に会いに来て下さらないのに耐えられなくて、僕は自分の内に閉じこもりました。 そして段々自分と他の木々や花々や植物と自分とを比べ始めました。 あそこの垣根の薔薇を見て、僕はあの薔薇のような芳(かぐわ)しい香りと美しさを持っていないことに気が付きました。 その時から僕は自信をなくして弱り枯れ始めました」とリンゴの木は答えました。 「そうだったのか!それは可哀想に、私はあなたの傍にいなくても、ずっとあなたの良い香りを思いだして、あなたを愛し続けていたのだよ」と王様はリンゴの木に答えました。

  垣根の薔薇も変化し、衰弱し始めていたので、王様はその理由を聞こうとしました。 「長い間私たちは、王様の優しい声も、元気付ける言葉も聞きませんでした。 そして王様が毛虫の害から私たちを守って下さらなかったので、私たちは毛虫に食べられて、とても弱くなりました。 なぜ私たちは、あそこにあるモミジの木のようになれないのかと疑問に思いました。 モミジの木は、秋になると葉がとても綺麗に紅葉します。 しかし、私たちは秋になっても葉は紅葉しません、それどころか葉を失ってしまいます。 強い風が吹くと私たちの細い枝は折れてしまいますが、あの松の木は全く害を受けません。 私たちの小さな棘も毛虫には何の役にも立たないので、毛虫の群れは私たちの新しい柔らかい葉を食べてしまいます。 ですから、私たちはどうして生き続けること出来るでしょうか。 死ぬ方がましだと思って、枯れ始めました」と垣根の薔薇は答えました。

  「そうだったのか!それは可哀想に、私はたとえ他の事で忙しくなっても、あなたたちを一度も忘れることがありませんでした。 それどころか、心配してどれほど私はあなたたちの傍に早く帰りたいと考えたでしょうか。」と王様は垣根の薔薇に答えました。

  全ての木々や花々や植物たちが、衰弱し始めた庭園をとぼとぼと歩きながら、王様はとても美しく生き生きとしている小さな花を見つけました。 王様は「どうしてこんなに元気に咲いているのですか?」とその小さな花に尋ねました。 「王様がお留守だった時に、私は色々と考えました。 私はあそこで堂々と聳(そび)え立つ松の木やリンゴの木の甘い実、或いは垣根の薔薇の芳(かぐわ)しい香りやモミジの木の燃える紅葉の色も決して持つことは出来ません。 しかし、この庭園を設計した王様がもし私を必要としないのなら、私の代わりに他の花をこの場所に植えて、その花の存在を楽しんでいたでしょう。 しかし王様は、私をわざわざここに植えて下さって、私を見てとても喜んで下さいますので、私はこの場所でありのままに、王様のために精一杯美しく咲くように努力しようと決心しました」と生き生きとした小さな花は元気に答えました。 「ありがとう、私の愛する小さなお花さん。 私は何て幸いなのでしょう。」と王様は嬉しくなって、涙を流しながら小さな花に答えました。

  この王様のように、深い愛を持って王である神はこの地球の庭園の中で、私たち一人ひとりの場所と役割を決めました。 神は毎日私たちの手入れをなさるのですが、時々私たちは「神が遠くにおられる」とか「神が自分を忘れた」と感じて、自分の内に閉じこもります。 そして、寂しさの余り私たちは他の人の幸せを見て、彼らと自分を比較します。 比較することは、毒を飲むことと同じことです。 他者(たしゃ)と自分を比べる人は、あっと言う間に自分の心の中に、嫉妬や恨み、あるいは高慢や軽蔑が芽生えることを感じているのです。 比較の誘惑に陥らずに、ただ神は世を造る前に私たちが存在することを望まれたことを考えましょう。 神の目には私たちが尊い者だから、神は絶えず私たちを愛し、祝福し守られることを信じて、ありのままに神の為にも他の人の為にも、精一杯生きて心から溢れる喜びに感謝しましょう。 そうすれば、きっと、私たちのすぐ傍におられる神の現存とその揺るぎない愛を深く感じて味わうことが出来るでしょう

                       主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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