今 月 の こ と ば
2013年11月
小石の実験

  小学校のある先生が子供たちの前で次の実験を行いました。 先生は四リットル位の広口ガラス瓶を自分の机に置きました。 そして、テニスボールの大きさの小石を、瓶がいっぱいになるまで、一つずつ瓶に入れ続けました。 それから子供たちの反応を見ながら、先生は皆に尋ねました。 「この瓶はいっぱいでしょうか?」 皆が声を合わせて「はい」と答えました。 そこで先生は砂利の袋を机の下から出して、その中身を小石の上に注いでから瓶をゆっくり振りました。 砂利が小石の間に入り込み、瓶の縁まで溢れました。

  先生はもう一度子供たちに尋ねました。 「今度は、この瓶はいっぱいでしょうか?」。 一度騙された子供たちは黙っていましたが、一人の子供が勇気を出して小さな声で答えました「たぶん、いっぱいだと思います!」。

  ニコニコしながら先生は自分の机の下から、また新しい袋を出しました。 子供たちは口をボカンと開けて、目を大きく目開きました。 今度先生は小石と砂利の上に砂を入れました。 砂は小石と砂利の間に簡単に入り込みました。 三度目に先生が子供たちに「今度こそ、この瓶はいっぱいでしょうか?」と尋ねると 皆は、先生の策略を理解して、大きな声で「いいえ」と答えました。 「えっ?そうですか…」と言いながら先生は今度も自分の机の下から大型の水差しを出し、水を瓶の縁まで注ぎ入れました。

  そして子供たちを見つめながら先生は「この実験によって皆さんは何がわかりましたか? どんな大切なことを理解しましたか?」と質問しました。 「大きな瓶があれば、中に何でも入れるでしょう」とある生徒が言いました。するともう一人の生徒が答えました。 「先生の手帳に書かれたスケジュールがいくらいっ
ぱいだと思っても、新しい約束や出会いを、また何か加えることが出来ます。」 すると先生は「いいえ、そうではありません」とすぐに答えました。 「この実験は非常に大切なことを教えています。 ちょうど大きな箱の中に小さな箱を入れることが出来るように、もしこの瓶に先ず最初に小石を入れなければ、後からはこの小石を瓶に入れることは不可能です」と。

  続いて先生は聞きました「この小石のように、皆さんにとって人生の中で最も大切なものはなんでしょうか?」。 同じ質問をイエスは私たちに聞きます。 私たちの人生の中で最も大切なものは一体なんでしょうか? 神との関係でしょうか? 一日の中で祈りの占める場所でしょうか? 他人への思いやりと世話でしょうか? 自分の仕事と健康でしょうか? 家族や友達との繋がりでしょうか? など、など…。

  例えば、ある信者たちが教会に来るたびに神に当然の挨拶(短い祈り)をせずに、すぐに他の信者としゃべる過ちを犯しています。 他のキリスト者はさまざまの事で忙しくなって、色々と悩み、苛立って不平や不満の言葉を言いがちです。 勿論そういう人たちは祈る時間を見付けない人です。 他のキリスト者は、赦しの恵みを避ける為、あるいは口喧嘩をした人と出会わないように、必ず、何か言い訳を見つけるのです。

  同様にある信者は、日曜日のミサ祭儀に参加しないための正当な理由がないので、自分の子供の学校活動のせいにし、または他のつまらない理由を想像し考えます。 更に、他者の小さな欠点や短所や欠如を見つめ続けるキリスト者は、決してその人々の優れた性質や長所や美点を発見することはできません。

  もし私たちが自分の人生のあらゆる面で、神を第一にしないのなら、出来事は小さくても、必ず消え失せるつまらないことや流れていく物事が、すべての場所を取る砂利、砂、水のように私たちの人生を満たすので、絶対にもっと重大で大切なものを受け入れることは不可能です。 私たちが値打ちのない物事に第一の場所を与えるなら、値打ちのあるもの、永遠に残るものを受け取る場所を失います。

                               主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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