今 月 の こ と ば
2013年10月
開花するか? 実を結ぶか?

 昨日まで小さな蕾であったにもかかわらず、今朝香り高い、美しいバラになりました。 そして数日後、暫く美しい花を開花させて、その後バラはゆっくり新鮮さをなくし、やがて枯れてしまうでしょう。 もしこのバラが開花していた時に、誰も写真を取らないのなら、この花の美しさを思い起こすものは全く何も残りません。

 美しいバラの安全な成長のために、適当な肥料、季節の風や雨や太陽、そして特に植木屋さんの手入れが必要不です。 同様に、人が安全に、美しく成長するために、幼い時から良い教育の肥料、試練の風、思いがけない出来事の雨、他の人の助けやお教え導きという手入れを受けることが必要です。 それなしに人生のあらゆる面で、決して人は立派に開花できません。幼い時から夢を抱きながら、人が一人では何も出来ないことを体験することによって美しく開花します。 様々な人からいただく手入れや助けや慰めや勧めを自分の人生の土台にして、人は立派な大人になり、社会の中で自然に目立つ良い影響を与える人になります。 このように自分の未来を築いている人は、次の時代の人々に何か役に立つものを残すように努めるので、必ず豊かな実を結びます。 と言うのは、立派に開花することだけでは足りないからです。 自分の種を作らない花は、実を結ばずに完全に消えます。 同様に人生のあらゆる面で、色んな風に開花した人は、もし実を結んでいないなら、彼の人生は残念なことに無意味です。

 聖書の中でイエスは「実を結ぶ」必要性について何度も語っています。 「実を結ばない木は切り落とされる」(マタイ7,19)とか「永遠に残る実を結ぶこと」(ヨハネ15.16)などと言う言葉が度々イエスの口から出てきます。 確かに、生まれた日から私たちは死に向かって進んで行き、年を取ると花のようにいつか新鮮さをなくし、枯れてしまうでしょう。 バラが美しく咲くためには、植木屋の手入れを受けなければなりません。 彼はバラの木を毛虫から守りながら、余分な葉をはずし、伸び過ぎた枝を切り落とします。 私たちも美しい人生を送るために、手入れを上手になさる神に自分のすべてを委ねることが肝心で大事だと信じます。 神は愛をもって、悪の攻撃から私たちを守り、豊かに実を結ぶように、私たちの霊的な成長を妨げる余分なものを除きます。 と言うのはこの余分なものは、私たちの心と魂に根を下ろし、伸びながら私たちの人間性を覆いふさいで滅ぼそうとするからです。

 大自然の中にあるもので生き残るために必要なのは花ではなく、花が作る種や実です。 花は自分を支える茎に終わりまで繋がったままでいます。 種は地に落ちて新しい命を生み出し、実は支えの枝から自然に離れ、人を養います。 ある意味で開花した花は、ただ自分の為にだけ生きいています。 しかし、種や実は何かを生み出し、誰かを生かすために自分を捧げています。 ある人はすべてが自分の満足感を満たさなければならないと思い込んでいるので、それが出来ない時に、その人は平気で自殺します。 ただ自分の為だけに生きようとする人は、あらゆる面で上手に開花していても、他の人のために実を結ばない限り、いつか不幸がその人に近寄って来るのです。
 この生き方は花のように長く続かないので、遅かれ早かれ、消え失せるのです。 真の開花を実現した人は、生きることも、死ぬことも恐れていません。その人は「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12,24)ことをよく知っています。

 「自分の命を愛すること」は、自分のためにだけ開花することです。 「自分の命を憎むこと」は、他の人々のために生き、開花し、実を結ぶことです。 私たちは皆、残る実を結ぶことが出来るように、大勢の人々のために美しく開花し、自分自身を与え尽くすことによって、豊かに生きていきましょう。


                          主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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