今 月 の こ と ば
2013年9月
聖書による髪の毛、ひげ、はげの意味とは

   長い髪の毛とひげは、責任と権威を持つ人のシンボルであり、また栄光の印(しるし)でもあります。イスラエルの王を初め、預言者、大祭司、ファリザイ人や律法学者は特に、髪の毛とひげを他の人よりも長くする習慣がありました。 権威のある主イエスも、目立つひげと豊かな髪の毛を持つ姿でいつも描かれています。 普通ユダヤ教とイスラム教に属する人は、髪の毛とひげを絶対に切りません。 なぜなら、髪の毛とひげを強制的に切ること(2サムエル10,4、イザヤ7,20)、抜くこと(エズラ9,3、イザヤ50,6)あるいは、手やヴェールでそれを隠すことも(エゼキエル24,17)最大の侮辱と不幸の極限を現す印(しるし)であるとされています。 そう言う意味で、アメリカのインディアンは敵の髪だけでなく、頭皮まで剥(は)いだのです。

   さて、有名なサムソンとダビデ王の息子アブサロムが持っていた長く豊かな髪は、彼らの若さ、男らしさ、力強さ、そして特別な個性を現していました。 彼らの特徴とは、すぐ感情的に行動するので、その動きの中で判断と知恵の欠如があることです。 更に、毛深いエサウは愚かな者の典型的人物として知られています
(創 25,27-34)。

   従って、若者は知恵の不足な者であり、知恵と賢明さを現す者は白髪の人だと聖書は何度も教えます。 髪の毛を櫛(くし)でとく事は、親切、思いやり、信頼、親密さと愛情を表す動作です。 このように親しい人が死んだ時、あるいはひどい病気にかかった時に、イスラエル人は喪や悲嘆や悲しさの印(しるし)として自分の服を破り、髪の毛を無茶苦茶にしてしまいます。 更に、罪を償うため、誓願や犠牲を行なうために、あるいは屈服の惨めさや従順の厳しさを示すために、使徒パウロのように髪の毛を切る人もいます(使徒18,18)。

   「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイ10,30)とイエスは言われた。それでは、はげ頭の人は不幸でしょうか? それとも恵まれているでしょうか? 聖書は二つの例を与えます。 民数記16章が悪い思い出を残していて、レビ人であるコラ(ヘブライ語で「はげ頭の人」を意味する)と呼ばれた人物の物語を述べています。 彼はモーゼに激しく反抗したので、「大地が口を開き、彼と彼に属するもの全てを呑み込み、生きたまま彼は陰府へ落ち、地がそれを覆った。」 しかし、列王記下2章23節によると、あるグル−プの子供たちが預言者エリシャを嘲笑って「はげ頭、上(のぼ)って行け、はげ頭、上って行け」と叫んだが、上ったのは急に現れた二頭の大きな熊でした。 この熊が42人の子供を引き裂いたそうです。

   「呪われたコラ」と「守られたエリシャ」というこの二つの出来事にもかかわらず、一般的に、聖書が「はげ頭の人」について教えるのは次のようです。 はげの人は尊敬すべき弱い人、力を失った人、谷間に置かれた人、憐れみと助けの必要な人の数に属しているので、神に最も愛されている人です。 神がはげ頭の預言者エリシャを選んだのは、ご自分の愛と憐れみを示すのではないでしょうか? とにかく髪の毛があってもなくても、神の愛に生きる喜びを告げ伝えよう!

   初代教会の美術家が残した使徒パウロの絵を見ると、確かに、彼も「はげ頭の人」だった事が明らかです。 弱さのシンボルであるそのはげのお陰で、イエスはわざと使徒パウロを次のように励ましたと思います。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント12,9)。欠点と弱さで満たされている「はげ頭」の私も自分の使命を果たし続ける為に、この貴重な言葉から希望と励みを見出します。 ですから皆様、武庫之荘の共同体に「はげ神父」を遣わした神に感謝しながら、この弱い私のために祈ってください。

             主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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