今 月 の こ と ば
2013年7月
聖書が語る「帯」の意味とは? 

   帯は色々なシンボルを豊かに現しています。 創世記の物語によれば、帯は最初の服です。 この服は特に保護や力や人間関係のシンボルです。 古代の人が、あらゆる危険(強盗、泥棒、野獣)から自分を守るために、左手が届く所に剣や刀や棒を持っておこうと、自然に自分の帯に掛ける習慣が生まれました。

   不安な時代に生きる人々にとって、このやり方は知恵と自衛の賢さを表しています。 また、畑で働いていた人は自分の長い服の端を帯に折り込むことで、自由になり、仕事が楽にできるという効果がありました。 従って帯を締めることは、一生懸命に働く覚悟と決意を表しており、「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」(ルカ12,35)とあります。 更に中世の時代、特に右手が届く所に自分の財布を帯びに掛けることは安全であり、同時に人の社会的階級を示していたので帯は人間の立場の印(しるし)でした。 日本の文明も帯を非常に大切にします。 着物の帯は、女性の美しさに人の目を引き寄せることを目的としています。 着物を着る女性は、宝石やアクセサリを身に着けていないので、帯はいつも美しく飾られています。 更に、柔道の帯の色は柔道家たちが実力によって得た段を現します。

   旧約時代には、旅をする人は必ず帯を締めています。 それは旅人が危険に直面する準備を整えている事を現します。 こういう訳で、エジプトから出発する前に、モーゼはイスラエルの民に過ぎ越しの食事を立ったまま取り、腰に帯を締める命令を出しました(出エジプト記12,11)。 色々な試練を通して、イスラエルの民は『約束された地』の巡礼者になるからです。

   従って、帯は「勇気や闘争性と同時に、自由と奴隷の状態からの解放のシンボルです」。 帯はまた『選び』あるいは『使命』のシンボルでもあります。 このように、イエスがペトロに「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、…しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められるでしょう」(ヨハネ21,18)と言って、その使命を教えました。 黙示録のキリストと天使は腰には金の帯を締めておられます(黙示録1,13と15,6)。 この帯は、霊的な階級、使命、役割などを現します。

   また、霊的なシンボルとして帯は貞潔を現します。 イスラエルの民の兵隊が、異邦人に対する戦に行く度に、いつも貞潔を守りました(2サムエル記11,6-13)。 マカバイの軍勢は、頭に塵をふりかけ、帯として腰に粗布をまといました(2マカバイ記10,25)。預言者エリヤ、イザヤ、エレミヤ、洗礼者ヨハネもこのような種類の帯を腰に締めていました(列王記下1,8、イザヤ5,11、エレミヤ13,1、マタイ3,4)。 帯は霊的な徳のシンボルでもあります。

   「粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました」(詩篇30,12)、「威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯を締められる」(詩篇93,1)、「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着けなさい」(エフェソ6,14)。 司祭や侍者がアルバの上に締める白い紐は、シンボルとして今まで説明した事をすべて現しています。

                                主任司祭 グイノ・ジェラール神父
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