今 月 の こ と ば
2013年6月
ご存知ですか? 生贄(いけにえ)、供物、液体の奉納物の意味とは? 

  「初穂を差し出す日には、傷のない一歳の雄羊を焼き尽くす献げ物として主にささげる。 それと共に穀物の献げ物、即ち、十分の二エファの上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜたものを、燃やして主にささげる宥めの香りとし、更に四分の一ヒンのぶどう酒をぶどう酒の献げ物としてささげる」(レビ記23,13)。 聖書のレビ記は生贄(いけにえ)、供物、液体の奉納物についてよく述べています。 それらの献げ物とは一体どういう意味でしょうか? いけにえ

  生贄(いけにえ)(sacrifice)とは、神への捧げものとして、生きた人間や動物を殺して直ぐに供えることです。 これらの行為は、特に古代文化やアニミズム文化を持つ国々の歴史に広く見られます。 人間にとって、最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は、神などへの最上級の奉仕だという考え方もあります。 昔の人々は特に祭りの日に、動物の血とその体の脂肪だけを神に捧げた後、その神の像の前で動物の肉をご馳走として会食していました。 このような会食は神との交わりを実現することを目的としています。

   イスラエルの民は、神に捧げた生贄を祭壇の上において、すべてを焼き尽くす習慣がありました。 これは(燔(はん)祭(さい)、焼き尽くす献げ物Holocauste)と言われます。 しかし、過ぎ越しの祭りの時にだけ、家族と共に屠(ほふ)られた子羊の肉を食べるのを許されました。 この種類の生贄と燔祭の目的は、罪の赦し、神の憐れみ、豊かな豊作を受けるため、または、疫病や災いや戦争を遠ざけるためでした。

  私たちはミサの時に、祭壇の上にキリストの生贄(即ち十字架上で屠られた彼の体と流された血)を神に捧げます。 そして聖体拝領によってキリスト者は神と一致し、且つキリストの神秘的な体となったので神の神性に与ります。 ミサ祭儀に与かるキリスト者は「神の子の資格」を受けている事を具体的に示します。 そして聖体拝領によってキリスト者は神と親密に一致しているので、すべての人を自分の兄弟姉妹として受け入れるはずです。 ミサの生贄は確かに神と人々との一致の神秘です。

 供物(Offering)とは、命のないもの(野菜、果物、花、麦や米の束、仕事の道具、収穫の初穂、手で自分が作ったものなど)を感謝とお礼として神や先祖たち、あるいは故人などに捧げるものを指しています。 自分の日常の苦労や喜びを神に示し、捧げるのは供物の目的です。 私たちはミサの時に、キリストの体と血となるパンとぶどう酒を、即ち私たちの永遠の命となるパンとぶどう酒を神に捧げます。 さらに、私たちの仕事の苦労と喜びを「献金」という施しの印(しるし)と供え物とし神に捧げます。

  液体の奉納物(Libation)とは、人々にとって価値のあるもの(水、ぶどう酒、酒、ミルク、香、油、香水などの液体)を宗教的な行為として、神と祖先たちに捧げることです。 たとえば、記念の石碑、お墓、祭壇、神の像に様々な種類の液体を注ぐ事やその前で香を捧げる事で、それらのものを聖別します。 私たちはミサの時に尊敬と崇拝の印として、祭壇、十字架、聖書の本に対して香を捧げ、また自分に聖水を振りかけます。 しかし、教会の祭壇、また選ばれた人(王、預言者、司祭、司教)などの頭と手に油を塗るのは、塗油(Onction)と言われています。 

                                主任司祭 グイノ・ジェラール神父
「今月のことば」目次へ
     HOMEへ