今 月 の こ と ば
2013年4月
教会の典礼とお花

  どんな文明に属していても昔から人々は、神々に生贄(いけにえ)や供え物を捧げる時に、花でそれを飾っていました。例えば古代エジプト、メソポタミア、ギリシャとローマの典礼によると生贄となる牛やヤギ、他(た)の動物などの首に奇麗な花の冠と長い花房が掛けられていました。ヨーロッパの宗教では、古代ギリシャとローマの伝統を守って、男性たちが担いで運ぶ聖人の像の前、あるいは司祭が持つ聖体顕示台の前には、少女たちが花びらを撒く習慣が今も続いています。またヨーロッパでは、昔から結婚式の時に花嫁の頭の上にオレンジの花の冠を乗せる習慣があって、現代ではそれは花嫁のブーケに変化しました。

   アジアの宗教を見れば(カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、ベトナム、フィリピン)カトリックや異教の信者たちは、捧げる祈りと共に供え物としていつも花と果物のプレゼントを伴います。ご存知のように、ハワイ島、タヒチ島、ニューカレドニア、オセアニアの多くの島の人々は歓迎と尊敬のしるしとして、観光客たちの首に奇麗な花の飾り(フラワーレイ)を掛けます。更にどこの国でも葬儀の際に、尊敬や愛や感謝の念を表す花を捧げるのは避けられない習慣です。
 ロマネスクとゴシック様式の聖堂の柱の上の部分(柱頭)と聖体拝領台は、いつも花房と木の葉っぱで飾られています。 キリストの墓を示す祭壇の中に殉教者の聖遺骨が入いているので、昔から祭壇の前に、また聖人の像の前にも花を捧げる習慣があります。第二ヴァチカン公会議から、日本の生け花の影響がヨーロッパの教会の典礼に及びました。

  しかし、大抵の聖堂が暗くて、大き過ぎるので、見えにくい花束や生け花を供える代わりに、信者たちはローソクを捧げることを好みました。というのは、朝から晩まで光り輝くローソクは、神の前で自分自身を表す役割です。仕事の為に教会から出ても、小さなローソクは 自分がずっと神の眼差しいの下(もと)に留まることを示します。

 日本では、建物の構造や使っている材料の為に火事の危険性があるので、ヨーロッパの雰囲気を作れません。ですから、信者たちの現存を安全に示す為にローソクの代わりに、あちらこちらに花を捧げることになりました。このように花は、神に対して私たちの現存、歓迎、尊敬、愛と感謝を具体的に表します。祭壇の前に捧げられた花は、キリストの贖いの神秘への感謝を表し、マリアのイコンの前に私たちが死ぬ日まで母親の心で私たちを守り、私たちの為に執り成す聖母マリアへの感謝と信頼を表します。キリストの復活は私たちの信仰の土台と私たちの未来ですから、復活のローソクの前に共同体の希望と喜びを表す花が供えられています。同時にキリストと一致している私たちは、光の子としてこの世を照らす使命をも思い起こさせます。また神の言葉への歓迎と尊敬として朗読台の前にも、花が置がれています。そして私たちが洗礼によって神の命に与る者となったことを思い起こす為に、聖水の所にも花が置かれています。最後に教会を訪れるお客様への歓迎と尊敬のしるしとして、玄関も花で飾っています。

ご存知のように、花は言葉を伝えます。教会の花が、私たちが神に言えないことを上手に神に伝えます。1時間しか教会で神と出会わない私たちの代わりに、聖堂の花は絶えず神に私たちの事を思い起こしながら、静かに、美しい姿で私たちの礼拝を丁寧に表しています。生花であろうと造花であろうと、花が神の栄光と私たちの愛を表すことを絶対に忘れないようにしましょう。

                                主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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