今 月 の こ と ば
2013年3月
福音史家使徒ヨハネの数の使い方

 福音史家使徒ヨハネは、他の聖書の著者よりも数のシンボルをよく使いました。 例えば、ヨハネは「2」を利用する時に いつも弟子たち(ヨハネ1,37と40、20,4、21,2)や天使(ヨハネ20,12)、婦人たち(ヨハネ11,3)について語る為です。 また、ヨハネは「5」という数を使うときに何か欠けていて、不完全なものについて語ります。 五つのパン(ヨハネ6,9-13)、回廊に入る為の入り口の五つの門(ヨハネ5,2)、五人の夫(ヨハネ4,18)など。 ヨハネにとっては「5」という数は 命、救い、癒しを与えることの出来ないモーセの律法の象徴です。 ただイエスだけがすべてを完成します。

  特に、よく使われている「7」と「6」という数をどのようにヨハネが利用するかを見てみましょう。 ご存知のように「7」という数は、幸福や聖霊の賜物や充満や完全や完璧を表します。 例えば、ベトザタの池で癒された病人の話を見ると(ヨハネ5章)『良くなった』という言葉が7回、7回目には『完全に良くなった』と書かれています。 生まれつきの盲人の話の中でも(ヨハネ9章)『目を開ける』という言い回しが7回、最後の行にまた『完全に目をあける』と書かれています。 このようにしてヨハネは、イエスが完全に病人を癒やした事を示します。

  更に、イエスが弟子達の足を洗う時(ヨハネ13章)、ヨハネは7回『洗う』という動詞を使い、最後に『洗ったものは全身清い』と結びます。 また、復活の証人として、ラザロの話で(11章)『マルタ』の名は7回 現われ、トマの名も福音の終わりに7回書き記されています。

  「7」に反対する数は「6」です(7-1=6)。 その数は、不幸や不完全、弱さ、罪と悪のシンボルです。 このように、イエスが『6番目の時に(*1)』疲れています(ヨハネ4,6)。 また、同じ時間ピラトに引き渡されました(ヨハネ19,14)。 そこで、ヨハネは『自分の人間性を通して、イエスが傷つきやすい人だ』という事を現すために、わざと6回『この男』とピラトの口から言わせます。 更に、カナの披露宴の話だと、ユダヤ人のために整えた『清めの水がめ」が6つあります。 この清めのやり方が不完全ですから、どうしても『洗礼と赦しの恵みによって』取り替える必要性があるとヨハネが説明しようとします。 同様に、イエスの生涯の流れは 6回ユダヤ教の大事な祭り(*2)で囲まれています。 それに対して、ヨハネは7回『復活祭』という新しい言葉を使います。 ヨハネにとって復活の出来事の祝いがすべての祭りや喜びの日をはるかに超えているからです。

  このようにして、神へのユダヤ人の古い礼拝がキリスト教の礼拝によって取り替えられたとヨハネは説明します。 言い換えれば、父なる神への真(まこと)の『過ぎ越し』は キリスト自身とキリストの教会です。 ヨハネの福音をゆっくり見ること、少しでも勉強することに、値打ちがあると思いませんか?


*1)ローマ時代の数え方です。
*2)Pessah(ペサハ)過越祭…ヨハネ2,13と6,4と13,1  =3回
  Chavouoth(シャブオット)五旬祭…使徒2,1 ヨハネ5,1 =1回
  Souccoth(スコット)仮庵祭…ヨハネ7,2           =1回
  Hanoukah(ハヌカ)神殿奉献記念祭…ヨハネ10,22    =1回
                                    計=6回

                              主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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