今 月 の こ と ば
2012年10月
不足している鍵
 
  私達は戸に鍵をかける時、2箇所を違う鍵で閉める世界に住んでいます。 人間は誰でも鍵の束を持っていて、好きなように様々な戸を開けたり閉めたりします。個人の鍵の束には、自分の家の鍵があれば、車やモーターバイクや自転車の鍵もあります。 数え切れない鍵がこの世界に自由を与え、数え切れない鍵がこの世の希望を奪っています。

  鍵は人に責任を与え、また人の評判を高めます。社長は誇りを持って自分の事務所の鍵を大切にし、お金持ちの人は、不安を抱いて自分の金庫の鍵を絶対手放しません。 学生たちはロッカーの鍵で自分の私物を守り、先生たちは試験の問題を秘密の場所に慎重に鍵をかけてしまって置きます。 司祭たちは聖体に対する不敬を防ぐために 教会の聖櫃の鍵を大切に人目につかないところに保管します。 一方、海外旅行に出かける人の中には留守の間、平気で自分の家の鍵を親戚の人やマンションの管理人に預ける人もいます。 また、鍵を忘れたり、鍵を失ったりする人がいれば、何本もの合鍵を持っている人もいます。 更に一日中、戸をあけっぱなしにして鍵を使わない人がいれば、もう役に立たない鍵を捨てずに別な箱に納めて置く人もいます。

  とにかく、私たちは鍵なしには生活が出来ないとよく分かっています。 役にたとうと立つまいと、鍵を持っている私たちの鍵の束が十分重いにも関わらず、私たちはいつも新しい鍵を捜し求めます。 成功の鍵、幸福の鍵、知識の鍵、安全の鍵、自由の鍵、赦しの鍵、悟りの鍵、謎や夢を解く鍵を探さなかった人がいるでしょうか? 私たちは なぜか 真実よりも幻を追いかけています。 しかし、必要不可欠で、私たちに不足している鍵はただ一つしかありません。 それは 私たちを開放し、心を拡大し、人生に広さを与える鍵です。 その鍵の名は「愛」です。 「愛の鍵」は、 神の国の門を開き、信仰が与える宝物の倉庫に通じる入口を開きます。 この鍵はまた 希望に飛躍を与え、他人を赦す力と決意を与えます。

  この「愛の鍵」は特にイエスの教会に預けられていて、キリストを信じる人は誰であろうと、この鍵を自由自在に使うことが出来ます。 偏見の鍵、悪口の鍵、嫉妬の鍵のような役に立たない鍵なら束になるほどたくさん持っている私達は、どうして一番大切なのに不足している「愛の鍵」をもっと熱心に探さないのでしょうか? イエスにこの鍵を遠慮なく切に願いましょう。 しかし、その鍵を手にすれば 昔のファリザイ派の人々を真似てはいけません。 「彼らは知識の鍵を取りあげ、自分たちが入らないばかりか、入ろうとする人々をさえ、妨げてきたからでした」(ルカ11,52)。

  イエスが言われたように この鍵で私たちが「地上で解くことは、すべて天においても解かれます」(マタイ18,18 フランシスコ会訳)。 ですから感謝のうちに堅く閉じている物事を この鍵で開きましょう! 孤独の寂しさのせいで、美しいものがもう見えなくなった人々の目を開きましょう。 病や苦しみのせいで 喜びの歌がもう聞こえない人々の耳を開きましょう! 「ありがとう」と言えない人々の口と心を大きく開きましょう! 神の国の鍵が私たちの手に委ねられていますから 上手にそれを使って 人々のために幸せの道を整えましょう!

                          主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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