今 月 の こ と ば
2012年7月
庭、憩いの場
  
  この世では、時の流れと共に 全てが変わっていきますが、庭は昔のままの姿を保っています。 庭とは、人が花、野菜、木々を栽培する閉じられた場所であり、また人がその場所の中で散歩しながら 大自然の豊かさを味わう安らぎの場でもあります。 聖書の創世記の話によれば、神は人間の幸せのために「エデンの園」を創造しました(創世記2,8)。 この閉じられた庭で神も夕方になると散歩する習慣がありました。 不従順のせいで、憩いと幸せの場であったエデンの庭から追い出されてから 人間はどうしても このエデンの園に似ている庭を造るようになりました(創世記3,8)。 額に汗を流し、土を耕す人間は 生きるための畑を作りながら、自分の安らぎを与える美しい庭を造るように努力しました。小さな庭であろうと、大きな公園であろうと 全ての庭が 疲れた人に憩いと安らぎ、落ち着いた気持ちと心の静けさを与えます。

  庭の豊かさを深く味わうために人は好奇心を刺激させる物事を探しながら、自分のリズムに合わせて歩く事が望ましい。 また、静かに、青草あるいはベンチに座って、新鮮な空気や、小鳥の歌や町から昇ってくる日常生活の音に耳を傾けるのも必要です。 憩いと安らぎを得たい人は、庭の中にあるすべての物事に捕らわれるように じっとした方がいいのです。 「いつものようにそよ風の吹き始めるころ、エデンの園を散歩する神は」(創世記3,8)きっとご自分が創造した庭をご覧になって大いに楽しんだでしょう。 それにもまして、アダムとエヴァと共にエデンの園の美しさと豊かさを深く味わったでしょう。
 仕事を終えた後、公園や小さな庭を散歩する人や、ベンチの上に座ったり寝たりする人も少なくありません。 知らないうちに、人間はエデンの園の安らぎと憩いを慕っているに違いありません。 庭の静けさのうちに 人は一日の苦労や一週間の疲れを忘れようとします。 そして、新しい出発をするために大自然の息吹きを受けながら、自分の体力を新たにします。 この世では庭と公園が、人が元気で生き続けるための必要不可欠な場所です。 そのために神は、天国を人の想像力をはるかに越える美しい庭(楽園)と比べます。 永遠の楽園で、すべての人々は神と共に、神の内に永久(とわ)の幸せと憩いを味わうように召されています。

  聖霊によって満たされた預言者も、詩篇の詩人も「神の庭」への憧れを述べています。 「私の魂は、主の庭を慕い、体も、心も生きる神にあこがれる」(詩84,3)。 「主は荒れ野をエデンのように、その荒地を主の園のようにする。 そこには喜びと楽しみ、感謝と歌声がある」(イザヤ51,3)。更に、神を信じる人の魂は庭にたとえられています。 「私の妹、私の花嫁は、閉じられた庭、封じられた泉です」(雅歌4,12)。


  日常生活の忙しさの中で、人を誘う庭は 憩いのひと時として 人間が失ったリズムを私たちに取り戻させます。 庭は私たちにとって、調和とバランスの取れた生き方を与える泉です。 庭を散歩し、庭の美しさを味わいながら、人は命の神秘に触れることが出来ます。 すべての庭は、最も良い生き方を私たちに教えています。 神のように、私たちもそよ風の吹き始めるころ 庭で憩いと幸せの息吹きを受けて生き続ける 新しい理由を見つけましょう。 「園の番人」として現れ、復活されたキリストは きっと町の小さな庭や公園であなたを待っているに違いありません。 ですから、目も、心も、手もよく開いて、聖霊のそよ風の息吹きをしっかり吸ってください。

                          主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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