今 月 の こ と ば
2011年11月
カメレオンが信仰生活の模範です
  カメレオンは動く時に選んだ目的に向かってまっすぐに進み、方向を変えず、絶対に頭を左右に動かさない。 同様に、信じる人は神を人生の目的とし、まっすぐに歩かなければならない。 頭をじっとさせているカメレオンは休みなく目を動かす。上下左右、あらゆる方向を見て、判断してから自分の歩き方を決める。キリスト者も、信仰の目的にたどりつくために、自分の周囲にある全ての状況や出来事を確かめる。キリスト者はよく見、聞き分け、判断し、識別してから行動する。キリスト者は自分の信仰を養う為に、絶えず色々な情報で知識を得る。

  カメレオンの右と左の目が独立して、同時に違った方向を見ることが出来る。キリスト者も右の手のすることを左の手に知らせない。


  さて、カメレオンが獲物を発見する時に絶対に急がない。むしろ非常に長い舌を突き出し、その獲物が安全か毒をもっているか、味の悪い獲物かをその舌でよく調べてから飲み込む。キリスト者も、人を非難する事や人の悪口を言う事を避けて、特に、自分の口に悪の言葉を入れないようにする。フランスには、「話す前に自分の舌を口の中で七回まわす」ということわざがある。

  目的にたどり着いた時、カメレオンは すぐ、その場所の色を身に付ける。これは偽善ではなく、生活環境への適応である。キリスト者も生活環境に相応しく生きるために、周囲にある物事に適応し、隣人を知ったり理解したりする義務がある。カメレオンは、前と後ろの一本の足を上げてゆっくり進む。その足を新しい場所に置く前に、その場所の安定と丈夫さを確かめる。体を揺らしながら、ゆっくり一歩一歩進むカメレオンは、キリスト者のバランスの取れた生き方や行い方を教えている。信じる人は、どうしても信仰の安定と強さを持つ必要がある。キリスト者は 賢明で、慎重であり、用心深い人でなければならない。

  人は「私の信仰が弱い」とか「信仰が足りない」とか言いがちである。 神への体験が足りなかったり、証しするのを恐れたり、自分がキリスト者であることをいう勇気がたりないから 人はそんな言い方をする。 しかし神の賜物として与えられた教会の信仰は完全であり、欠けているところが全くない。 教会の信仰は 神をありのままに見ている全ての聖人の信仰であり、聖霊は絶えずその信仰を強め、豊かにし、満たす。

  カメレオンのしっぽは物を掴む事が出来る。 進む時に必ず安定した所に、カメレオンは自分のしっぽをひっかける。このようにして、万一、前の場所が不安定なら自分を守ることが出来る。 キリスト者も、カメレオンと同様に、安定して、ゆるぎない神のみ言葉に心をつなぎながら、自分の後ろを守るべきである。前も後ろも、神が自分を囲むように、信じる人は賢く動き、行い、安全に信仰の道を進む。カメレオンのように信仰生活を送るキリスト者は幸い!

                    主任司祭 グイノ ・ ジェラール神父
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