聖フィリッポ使徒
**************************************************************************************

祝日 5月3日

・フリィポは、ペテロやアンデレと同じベトサイダの出身(ヨハネ1,44)であった。
・12人の弟子の使徒の中でいつも5番目に位置づけられている
 (マタイ10,3 マルコ3,8 ルカ6,14 使徒言行録1,13)
・使徒になるようにとイエズス御自身によって呼ばれた人である。
・イエスに呼ばれたのは、シモンとアンデレがイエスの弟子になった翌日である。
・ナタナエルの友達であり、ナタナエルに「来て、見なさい」と言って、イエスのもとに導いた。
                                                        (ヨハネ1,43-46)
・アンドレと共にギリシャ語を話す人であった(ヨハネ12,20-22)。
・フィリポがユダヤ(ヘブライ)人であるが名前がギリシャ語で、
・ギリシャ語を話すことから文化的に開けた環境にいたことを示している。
・イエスと親しく交わり(イエスの周りにいた限られた集団の一人であった)、
・素朴で用心深く、現実的な人であったといえる。
・弟子たちのなかでも世間の常識をよく心得ていた人物で知恵のある人であったと思われる。
・5000人に食べ物を与えるのにどのくらいの費用がかかるか、すぐに正確に計算した(ヨハネ6,5-7)
 ことから、その場の状況が意味することを判断でき、具体的で現実的な人であったことがうかがえる。
・最後の晩餐で「あなたがたがわたしを知っているならば、父を知ることになる」というイエスに、
・フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」という願いに対して、
・イエスは優しく諭すように「フィリポ、これほど長く私と共にいるのに、まだ私を知らないのか。
・わたしを見た者は父を見たのだ。…わたしが父の内におり、父がわたしの内におられるのを
 信じなさい」と言って、イエスはご自分を啓示なさった。(ヨハネ14,8-9)
・伝承ではフィリポはギリシャやフリギアで福音を宣教した後、殉教者として死んだと伝えられている。
・彼は、帽子業の保護の聖人である。
・フリギアのヒエポリスで拷問を受けて87歳で死亡 
 十字架刑であったとも石打ちの刑であったとも言われている。

フィリッポ(フィリポ)の主な聖書の箇所

* ヨハネ 1,43-46
その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と
言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
フィリポはナタナエルに出会って言った。
「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。
それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 するとナタナエルが、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、
フィリポは、「来て、見なさい」と言った。


*ヨハネ 6,5-7
イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、
「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
こう言ったのはフィリポを試みるためであって、
御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と
答えた。

*ヨハネ 12,20-22
さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、
「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。

* ヨハネ 14,8-9
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。
わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

**************************************************************************************

▲十二使徒へ
HOMEへ